人を助けたいという思いを胸に抱き、消防官を目指すも無能力者と告げられて。
それならせめて祈りをと、神父の道を志し、神学校を卒業して早6年と半年ほど。
今年で23歳になった私は、何の前触れもなく、突如『能力』に目覚めてしまった。
黄色のリスタート
「というわけで。貴方達二人に、彼を見てあげて欲しいのよ」
「へえ☆」
「はあ…」
『へえ』の方は、『明るく元気なスポーツ少年』を絵に描いたような、整った顔立ちの赤毛の少年。
『はあ』の方は両サイドを刈り上げたモヒカンのような髪形をした、
隈の浮いた目でじろりとこちらを睨みつけてくる…なんだかとっても血色と柄の悪い、青い髪の少年。
学年主任のシスター長に連れられて、私は彼らと顔を合わせることになった。
「フォイェン。彼らに貴方の学園生活をサポートしてもらおうと思っています。
赤い髪がレッカ、青い髪がカリム。それぞれ非常に優秀な成績を残しています」
「烈火星宮です!16歳です!運動が得意で首席です!勉強はちょっと苦手☆
貴方は無能力者だったのにすごく拳法が得意だと聞いていますよ!是非手合わせしてください!」
「…カリム・フラム。よろしく」
「何だよカリム、それだけか!?」
「うるせェ…」
とっても元気な話し方をするのがレッカ君で、だる〜い話し方をするのがカリム君だね。
お世話になる人の名前は早く覚えないと。
「レッカもカリムも大隊長から聞いていると思うけど、フォイェンは数年前のこの神学校の卒業生です。
ですが、無能力者としての勉強しかしていなかったんですね。
今回、急に能力者になってしまったということで、今後は能力で戦う神父として
現場に出られるように、 訓練をすることになりまして。
神父の仕事を続けながら、週に3日、能力者としての実習の時に、この学校に顔を出すことになりました」
「…俺と同じ編入組ってことですか?」
『俺と同じ』。ぼそりと青髪君の口から漏れた言葉に疑問が沸く。
「ああ、フォイェン。カリムは元々訓練校でも神学校でもなんでもない、普通の中学に通っていたのよ。
でも、最近突然『能力』に目覚めて、それがあんまり強力だったものだから、枢機卿の方々やら灰島の方達から
『一刻も早く消防隊に入隊させよう、現場で働かせよう』って言われて…。
結果、3ヶ月前に、急遽一学年上のこの学年に編入してきたのよ。
この子も首席のレッカに面倒を見てもらってるんだけど…しっかりしてるから、どっちが面倒見てるんだか
分からなくなったりもするのよねえ」
「えっ、飛び級!?」
なんだか自慢みたいになってしまうが、第1特殊消防隊はエリートの集団だ。
私だって、無能力者ではあったけど、学科や礼儀作法などはエリートといえる成績を取っていた。
その第1直下のこの神学校で、飛び級。
どれだけすごいんだ、この子のその『能力』って…?
ついまじまじとその顔を見つめてしまったら、思いっきり口を歪ませて睨まれてしまった。
…うん、今のは私が悪いな。
「ご、ごめんね、驚いてしまって。カリム君はどういう能力者なんだい?」
「…そんなのすぐ分かるだろ、授業に出れば」
うう、冷たい…。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。
一学年下ってことは今年15歳、一般的な学校では高校受験をやっているお年頃。
反抗期とかもある時期だろうし、付き合い方が難しいかもしれないな。
そう思うと、彼に向かって『まあまあ☆』となだめている相棒の方が、とっつきやすいかもしれない。
「じゃ、じゃあ、レッカ君。今日はとりあえず、編入の挨拶と、施設の確認と…
2限目の能力実習に顔を出す予定なんで。
君達以外のクラスメートには、2限目に挨拶することになってるんだけど」
「うん、そうか。じゃあシスター、俺達は1限空き時間なんで、フォイェンさんに付き合ってやればいいんだな?」
「俺はパス。補講が入ってる」
「あ、そうか。じゃあフォイェンさん、俺達だけで行くか☆」
カリム君にはにべもなく断られてしまったので、理科準備室に行くというカリム君とは途中で別れて、
レッカ君に校内を案内してもらうことにする。
「…あの子、機嫌悪かったよね」
「ん?」
「カリム君。怒らせちゃったかな?」
「ああ、大丈夫だぞ!カリムはいつもああなんだ。反抗期なんじゃないか?
それに、補講で忙しいのは本当だぞ。カリムは飛び級だし編入生だから、
空き時間や放課後なんかに、必修科目とかの補講がめいっぱい入ってるんだ。
夏休みだって、それで殆ど潰れちゃってさ。かわいそうになあ」
かわいそう、と同級生に言われてしまうのもなんだかなあ…と思うが、
さっきの『急に能力者になって上の学年に編入させられてうんぬん』のいきさつや
目の下の隈を思い出すと、確かに同情してしまうものがある。
私だって、急に能力者になった身だから、なんだか他人事と思えない。
「カリム君はむしろ、自分より一つ下の学年とかでもよかったんじゃないかい?
神学校は必要な教科が一般的な中学と全然違うよね?
神父としての勉強をイチからやり始めるのは大変だっただろうに…」
「でも、便利だからなあ、カリムの能力。
残念ながらアド…第三世代ではないんだけど、すごくレアで、唯一無二とか呼ばれてる。
お偉いさん達、とっとと卒業させて、早く現場に投入したいんだってさ☆
勉強も出来るんだぜ!その補講つめつめの状態で、理系の科目なんか、いつもトップか2番目だし☆
俺にも教えてくれるんだぜ!」
…絵に描いたようなエリート人生だった。
あの柄の悪さで色々台無しにしてしまっているのがなんとも勿体ない。
「っと、カリムの話ばっかになっちゃったな。フォイェンさんの話も聞かせてくれ!」
「ああ、そうだね、私は」
「ああっと!いけないいけない、どうせ聞くんならカリムもいないとだよな!またにしよう!」
…またにされてしまった。まあ、いいけど、うん…。
1限の最中だから、広い校内は人気もなく静まり返っている。
懐かしいそこをレッカ君とゆっくり歩いて回る。
「フォイェンさんがいた頃と変わってるかー!?」
「いや、全然。懐かしいよ。先生とかも、変わってない人もいたね。君達に会う前に挨拶したよ」
「へえ〜、どの先生だい!?」
雑談しながらブラブラしてると、やがて1限終了の鐘が鳴った。
「おっ!1限終了だな。次は実習だから、運動着に着替えないとな☆持ってきたか!?」
「ああ、うん。このために来てるからね。更衣室の場所は変わりないよね?」
ちなみに、今更ながら私の服装は、この学校の制服にかなり寄せた私物の黒のローブにスラックスだ。
神学校なので、学ランやブレザーでなくて助かった。
流石に6年前の制服は処分してしまったので、能力実習のためだけにお高いジャケットを
用意するのは勿体なさ過ぎる。
「ああ☆じゃあ、ちょっと着替えてグラウンドだな。
カリムは準備があって少し遅れるから、俺達は先に行くぜ!」
…準備って、また補講関連かな。エリートも大変だ。
とりあえず、レッカ君に導かれるままに更衣室に向かい、そこで初めて会った生徒には軽く挨拶をしつつ、
着替えて能力訓練用に特設されているコートへ向かう。
すると、そこには私をこの状況へ推薦した人物が待っていた。
「バーンズ大隊長!?」
レオナルド・バーンズ大隊長。第1特殊消防隊のトップ。私の上司様だ。
「バーンズ大隊長、お疲れ様です」
雲の上の存在に色めき立つ生徒達をかき分けて、隊長の前で合掌する。
「おう、フォイェン。どうだ、久しぶりの学校は」
「もう卒業したのも何年も前のことなので…。でもあまり変わっていなくて、なんだかほっとしました」
「はは、そうか」
上司中の上司との挨拶に若干緊張していると、さっきからうずうずしていたレッカ君が、
勢いよく会話に割り込んできた。
「バーンズ大隊長!!能力実習、見に来てくれたんですね!!」
「まあ、フォイェンのこともあるからな。カリムは…補講か?」
「はい、すぐ来ますよ☆」
「……どいてくれ。バーンズ大隊長、お疲れ様です」
タイミングよくけだるい声がして、クラスメイトの波をかき分けて、青い髪の少年がやってきた。
…その手には。
「ん?あの白いの、やめたのか?」
「スーザってマーチング用だから案外軽いんだけど、路地裏とか絶対突っかかるから…。チューバは重すぎたし」
「それはチューバじゃないのか」
「ユーフォっていいます。もう少し小柄で音も高いヤツ」
…そう。カリム君の手にあったのは、吹奏楽で使うチューバに似た楽器。
それと、他のクラスメイト達とは違ってジャージの上に頑丈なベルトを巻いていて、
そこには銀色のハンドベルがぶら下がっていた。
完全に彼だけ勉強する教科が違ういでたちだ。
そんなものを持ち出してどうするのかと思ったが、世間には第4消防隊の有名な笛吹きバフ使いのような人も
いるので、これを使う能力なのかもしれない。
「まあ、色々模索してみなさい。なんなら特注してもいいかもな」
「特注ですか?」
うち うち
「第1の機関員を利用してくれて構わん。今度、時間がある時に教会に来なさい。私も付き合おう」
…今の会話だけでも、彼が相当トクベツ扱いされていることが分かる。
おそるおそる周りを見る。
こういう時は、必ず――ほら。
『どうせかなわないもの』を見る、諦めの目。
『贔屓されやがって』という嫉妬の目。
『ナマイキなんだよな』という怒りの目。
黙って見ているクラスメイトから、何対もの暗い視線が注がれていた。
――が。
「た〜いちょう!カリムばっかり構って、ズルイじゃないですか!!」
「ん?ああ、すまんな、レッカ」
絶妙に空気を読まない少年が頬を膨らませながら割って入って、嫌な空気が一気に飛び散っていく。
こういう子はクラスに一人いるとありがたいなあ。なんだか教師目線になっちゃったけど。
「皆も息災か?」
「「「は、はいっ!!」」」
クラスメイトがしっかり整列して合掌で挨拶する。
カリム君やレッカ君も端に移動して、綺麗に合掌した。
この学校では、男女は混合なんだけど、とる授業が違ってくるため、能力者と無能力者をクラス分けする。
ここにいる子達は能力者クラス。私と同じく『消防官兼神父・シスター』を目指す子達なわけだ。
現役学生だった私は、そういう能力者クラスの同級生達を、ずっと憧れの目で外から見ていた。
数年後の今、こうしてこの演習場の金網の中に立っているというのは、不思議な気分だ。
もっとストレートに嬉しいかと思ったんだけどな。やっぱり緊張してるのかな。
「フォイェン、こちらに。
皆、話は聞いていると思うが、今日からこのフォイェン神父が、能力実習の時のみ、君達と一緒に学ぶことになる。
彼は現役の神父で、学科や祈りの作法などはもうプロだからな。
勉強したいことがあったら、捕まえて話を聞くといい」
「「「はいっ、バーンズ大隊長!!」」」
…非常にむずがゆい。
私、能力に目覚めたばかりで、能力授業では成績もドベ確定なんだけどな。
『なんかすごい人』みたいな雰囲気はやめてほしい。本当にいたたまれないので。
「今日はフォイェンのために…というのも本人に嫌がられそうだが、特別に私がこの時間、
指導させてもらうことになった」
「ええっ!?ホントですかバーンズ大隊長!!俺と組手してくれますか!?」
…若いって恐ろしい。いや、レッカ君がこういう性格なだけかもしれないけど。
相方のカリム君の表情を窺えば、元々色白の顔を更に青白くして、一生懸命レッカ君の足を踏んづけていた。
うん、色々苦労するね、君。
「それなんだが…フォイェン、このレッカと戦ってみないか?
お互い近接格闘系の能力だし、相手としては丁度いいと思うんだが」
「あっ、そうか!フォイェンさんは拳法使いなんだったな!戦ってみたいぞ!!」
「…嫌なら嫌って言った方がいいぞ。こいつ、いつもこうでこんなだから」
「え、」
…今、私に言ってくれたんだよね?
ボソボソっとだけど、気遣うような言葉をカリム君から貰って、つい心が躍る。
もう怒ってないのかな。よかったあ…。
「あ、うん、大丈夫だよ。ありがとう。
でも、私はまだ能力に目覚めたばかりなんでね。能力より体術で戦う感じになってしまうと思うけど…」
「それで構わんさ。カリム、レッカが熱くなり過ぎたら、フォローしてやってくれ」
「はい、了承しました」
私とレッカ君以外の皆が、フェンスの近くまで下がっていく。
私は指先に意識を集中させた。ボウッと小さな火が灯る。
私の能力。第三世代という、自ら炎を発することができる人間の能力だ。
今まで自分のことを無能力者だと思っていたけれど、最近こうして炎を出すことが出来、
炎を熱いとちっとも感じなくなった――耐性の付いた自分に気がついた。
多分、私は本当はごく弱いながらも能力を持っていて、今まで気付けなかったその能力が年々強くなっていって、
ようやく今、こういう能力として発芽したのだろうとバーンズ大隊長には言われた。
大陸出身の父親仕込みの灯籠拳の構えを取って、レッカ君を迎え撃つ。
彼は両の拳に炎をまとって、いわゆるパンチングスタイルの構えを取っている。
この年齢にして、なかなかの火力のようだ。
「いくぜっ☆フォイェンさん!!!」
突進しながら突き出された拳をいなしながら、その伸びきった腕に刺突を入れる。
私の指先の攻撃は、レッカ君の拳に比べれは攻撃面積は微々たるものだが、いわゆるツボを狙って
的確に攻撃を繰り出せば、決して威力が劣るとはいえない。
「うっ!?」
「はっ!!」
腕に痺れが走ったのか、彼が動揺した隙を突いて、もう一撃、二撃。
更に、腕に注意が行き過ぎて無防備だった足を払って、完全に体勢を崩してやる。
「ぐうっ!?」
地面に叩きつけられたレッカ君が低い声を上げ、周りの生徒達が息を呑む音が聞こえる。
「そこまで。フォイェンの勝ちだな」
「そんな!!俺はまだやれます!!」
レッカ君が跳ね起きるが、私が攻撃した腕にまだ違和感があるようで、悔しそうに顔を歪めている。
「…順番、だろ。2回目の挑戦は後にしとけよ。つっても、俺は参加するの難しそうだけど」
カリム君がフォローを入れる。性格は真逆っぽいけど、いいコンビだよなあ、この二人。
「え…じゃあ、誰か…いくか?」
「え、俺、ヤダよ」
「意外とやるじゃんこのヒト…。レッカがやられたぜ?」
「こんなんもうカリムじゃなきゃ無理だろ…と言いたいけど、火力が強いんじゃないんだなこの人。
カリムじゃ相性悪そうだ」
生徒達から一斉にボソボソヒソヒソされる。
うーん…困ったなあ。
相手をしろというのならするけど、(無能力者としてだけど)現役で働いてた神父が、子供相手にどれくらい
本気を出していいものか…。
レッカ君やカリム君はこの年代ではトップクラスの能力者のようだから、結構ガチで当たっても問題はなさそうだが、
他の生徒までこのレベルではないだろう。
「…では、ゲームをしようか、カリム」
バーンズ大隊長の言葉に、皆の目が一斉にそちらに集中する。
「ゲーム…ですか?」
「そう。フォイェンは、とにかくカリムに一撃入れたら勝ちだ。
ただし、どんなに小さくてもいい、ちゃんと能力を使って、火の点いた状態で攻撃をすること。
カリムは私やレッカの火を利用して、自由にそれを防ぎなさい」
「大隊長の火を使っていいんですか?」
…会話から察するに、カリム君は『自分で火を生み出せる』第三世代ではなく、
『そこにある火を操作できる』第二世代のようだ。
先ほどの『相性が悪そう』というのは、私の出す炎がまだ小さく、カリム君が自由に扱うには
量が足りないとのことだろう。
近年、第三世代能力者が増え続け、第1消防隊でもそうだが、第三世代能力者が各隊の隊長格を
どんどん占めていっているこの世の中、飛び級させてまで重用したい第二世代…か。
興味がないなんて嘘になる。
「じゃあ、カリム君。嫌じゃなければ付き合ってくれるかな」
「いいけど…あんた、冷え性とかじゃないよな?第三世代だし…」
「ん?」
「体調崩されても困るんで。
レッカのバカはバカでバカは風邪引かねェから全然相手しやすいんだけど」
…どういう意味だろう?
ちらりと周囲の生徒に目をやると、面白そうににやにやしたり、気の毒そうに眉をひそめたりしていた。
…なんか怖いな。もうやるしかないけど。
私が定位置につくと、カリム君はそれよりずっと後方、大分長距離の間を取って、腰のベルトから
ハンドベルを抜き取った。
そのカリム君のすぐ近くまで下がったレッカ君が、先ほどのように両手を発火させた。
バーンズ大隊長も、右腕に熱気を集中させて、カリム君の方に差し出す。
「用意はいいな?レディ…ファイト!!」
大隊長の声で、とりあえず距離を詰めようと私は走り出し――
リン、と澄み切ったベルの音がグラウンドに鳴り響いて――
急に前方から激しく吹きつける吹雪に、それなりの体格でそれなりに重量のある私の身体が、
勢いよく吹っ飛んだ。
「痛っ!!」
ゴンッ!という音がして、後頭部に鈍い痛み。体勢を崩して、頭をぶつけたらしい。
うう、ちょっと油断してたかもしれない。情けないな。
慌てて跳ね起きると、それまで私がいたところに、極太の氷柱の槍が突き刺さった。
「えっ…つ、氷柱!?」
「カリムは氷の能力者なんだぜー!驚いただろ、編入生!」
「は!?氷…!?」
「おー、驚いてる驚いてる!」
すっかり私をからかうモードになったらしいクラスメイト達が自慢げに笑う。
…君達ねえ、さっきあんなにカリム君に嫌な視線向けてたでしょうが…。
視線を、氷柱の飛んできた方に向ける。
そこには、例の吹奏楽器の音の出る部分を私の方へ向けた彼が立っていた。
クールな瞳が能力で青く輝いて、こちらを射抜いている。
リン、と。再びベルが鳴る。
それに合わせて、レッカ君とバーンズ大隊長の腕から炎が溶けるように消えていった。
チリチリガタガタギシギシと、小さな何かの振動のような音が聞こえる。
その音の主だったらしい吹奏楽器から、再びものすごい冷気が噴出された。
「くっ!!」
こんな能力があるのか…!!
第二世代は能力の幅が広いとはいうけど、こんなの、『炎の能力』といえるのか…!?
まるで御伽噺に出てくる『雪女』じゃないか。
いや、男の子だから『雪男』か?でも、それだと別の毛むくじゃらの生き物みたいになっちゃうな。
気がつけば、私と彼の間には、彼の身を守るように、分厚い巨大な氷の壁が出現していた。
透明な氷の向こう側に、ゆらりと立つピンボケの彼の姿が映っている。
あちらから積極的に攻撃を仕掛けてくることはせず、あくまでその場で私を迎え撃つスタイルのようだ。
…さあ、この壁をどうする?砕いて突破する?真正面からいけるのか?
上や横から回りこむ?そんなの相手は分かりきってるだろう。絶対に張られている。
しかも、私には『火の点いた状態で攻撃すること』という制約がついている。
あの子がベルを一振りすれば、こんな芽生えたての小さな炎は簡単に消されてしまうだろう。
せめてもう一人囮役がいれば…。うーん…今の私では、一人でこれを攻略することは難しそうだ。
「…ギブアップです」
「ん…?」
「今の私の火力では、ここからどうすればいいか対策が打てません。ゲームオーバーです」
「え…ああ…そ、そうか…?」
ひょいっと、氷の壁の横から半分彼の顔が覗いた。
その子供っぽい仕草に、一瞬あっけにとられてしまう。
…そうだよ、そういえばこの子は子供だった。私より8歳も下の。
「まあ、俺も、レッカと大隊長、二人の高火力があったからな。今日は大分厚い盾が作れた」
「盾…」
コンコンと、満足そうに氷の壁を叩く姿は、なんだかとても嬉しそうで、子供っぽくて。
最初のヤンキーのような柄の悪さや、さっきの氷の魔物みたいな冷たさとのギャップに驚いてしまう。
「驚いただろう、フォイェン。『熱音響冷却』というんだ」
「『熱音響冷却』…?」
「簡単に言ってしまえば、熱を音に、その音を氷にと変化させる能力だ。
非常に珍しい能力だし、似たような『熱を下げる』タイプの能力者がいなかったわけではないが、
『氷』という状態にまで持っていけた者は前代未聞らしい」
ああ、以前『ガラスケースの中の蝋燭の火を声の振動波で消してしまう』という、まるで手品のような
実験のテレビ番組を見たことがある。
多分最初のベルの音でそれに近い現象を起こしているのだろうが、そこから更に『氷』に変える…?
どういう理屈なのかよく分からないが、全身炎に包まれている焔ビトがこの能力を浴びたら、
丸ごと氷漬けにされてひとたまりもないだろうな。
「焔ビトの炎を消す。氷結させて足止めする。火事を抑える。必要なら足場を作る。
まさに『消防官』にふさわしい能力だろう?」
「ええ。驚きました。応用力も高いんですね」
それは飛び級にもなるだろう。
加えて、いわゆる後衛職の能力なのも大きい。
私やレッカ君のような近接攻撃用の能力は、能力と肉体の両方を鍛え上げて現場の最前線に立ち、
焔ビトとサシで向き合わなければいけない。
だが、彼は無能力者のシスターや神父がそうするように、必要な時に働いてもらって、
あとは仲間が守ってあげれば、実戦経験が少なくても十分に現場で働けるだろう。
どんどん現場に出して経験を積ませれば、いずれ小隊長中隊長と出世した時に、自ら的確な指示を出して
前線で身体を張る部下をサポートしていくような、良い指揮官にきっとなれる。
初対面の私ですら、ついそんな期待をしてしまう。
「…でも、これで焔ビトにトドメさせるわけじゃねェし…。俺に出来るのは足止めくらいだ」
え?そこ?そこが気になるの?それは別に、他の隊員と協力していいところでは??
私はそう思ってしまうが、血気盛んな若い子は違うらしい。
「まあ、そう言うな。トドメはレッカが刺せばいいじゃないか。お前達、いつも一緒にいるんだし」
「そうだな!!カリム、お膳立ては頼んだぜ☆」
「お膳立て言うな!!」
すっかりじゃれ始めた子供達を置いておいて、氷の壁に触れてみる。…とても冷たい。本物の氷だ。
確かに、物の『熱』をどんどん奪っていけば、理論上はすっかり『熱』がなくなって『冷たく』なるだろう。
だが、まさか『炎の能力』にこんな使い方があるなんて…目からウロコだった。
「…ちなみにこの氷、この後どうするんです?」
「レッカとかが修行がてら砕いて砕く」
「砕いたら日当たりのいいところに持っていっているな。あと、要望があれば保健室や食堂で利用したり」
「暑い時はシロップかけて食べたりもするぜ☆」
「それはお前だけだ」
…まあ、そうなるだろうね。これを能力で綺麗さっぱり溶かそうとしたら、相当の火力がないとダメだろう。
バーンズ大隊長ならそれも可能なのだろうが、嬉々として氷壁にパンチを食らわせているレッカ君を
微笑ましく眺めているので、その気はないのだろう。
まあ、毎回バーンズ大隊長が授業にくるわけじゃないんだから、片付けは自分達でやらないとか。
今まで距離をとって見ていたクラスメイト達も、ぞろぞろと氷砕きに加わり始めた。
「カリムー、お前は打撃力ないんだから、せめて猫車持ってこいよー」
「防御とかサポートならマジ鬼なんだけどなー。破壊力ってのはちょっと違うんだよなあ、お前のは」
「『氷』じゃあ溶かすことすら出来ないからなあ」
「…一応使うか分からなかったけど、用意はしてある。持ってくる」
揶揄するクラスメイト達から逃げるように、カリム君が訓練コートの外に向かう。
私もそれを追って、彼が金網の向こうに留めておいた猫車に手をかけた。
「え、な、何?」
「ああ、あっち、混んでるから…私は運ぶ方に回ろうかなって。持つよ」
「はァ?いいよ」
「私、結構力持ちだよ」
何がいけなかったのか、その言葉に彼の眉が跳ね上がった。
「俺だって鍛えてるよ!」
……やってしまった。これじゃさっきのクラスメイト達の非力扱いに便乗してるようなものだ。
「ご、ごめん。そういう意味じゃなくて…。私が力仕事得意だよってだけで、」
「俺は力仕事得意じゃなさそうだもんな!!ナマっ白くて楽器なんか持って!!」
完全に根に持っている。
「ごめんって。手伝わせてよ」
「おーいカリム〜〜!!猫車まだか〜☆」
「…っ、すぐ行く!」
「あ、カリム君…」
…仕方なく、猫車を押す彼の後をとぼとぼと着いていき、皆と一緒に砕かれた氷を猫車に乗せて、
邪魔にならない日向まで持っていく。
そんな後片付けをしていたら、やがて2限終了の鐘が鳴った。
「フォイェンさ〜ん☆今日はもう、これで帰るのか!?」
若干しょんぼりしながらグラウンドを後にしかけると、レッカ君が明るく声をかけてくれた。
「ああ、うん。今日は午前中が休みで、午後から教会の仕事に出ることになってるんだ」
「えー、社会人は忙しいなあ。あ、カリム!お前、ちゃんと言いたいこと言っといた方がスッキリするぞ!」
「はァ!?」
急に声をかけられて、少し前を歩いていたカリム君がすごい勢いで振り返る。
「あ…ごめん、何かな。聞くよ?」
「聞かなくていい!!何でもねェよ!!」
そう言われると、気になってしまうんだが…。
なんだかムキになっちゃって、カリム君、顔がすっかり真っ赤になっている。
「全く、カリムはしょうがないなあ☆フォイェンさん、さっき、頭ぶつけただろ?カリムが心配してたぞ」
「してねェよ!!!」
「え、あたま…?」
そういえば、さっきの組手中に、冷気に吹き飛ばされて後頭部をちょっと打ったけど。
触ってみても、ちょっとじんじんするくらいで、コブとかにはなってないし、大丈夫だと思うけど…。
「ほら、これ!カリムが冷やした方がいいんじゃないかって気にしててな!」
そう言ってレッカ君が無理やりカリム君の握り拳を開かせると、中から掌サイズに砕かれた氷の塊が
コロコロと転がり出た。
「え…これ、私に…?」
「ち、違う!!さっき捨て損なった捨てそびれたやつだ!!」
………うん。もしかしなくても、この子…実はすごく優しい子なんじゃないか…?
確か、組手をする前にも、これから冷気を浴びせることを考えてか、私の身体のことを気遣ってくれていたし。
「あんだよその目は!!」
なんて考えてたら、また怒鳴られてしまった。ああ、人間関係って難しい。
「ご、ごめんごめん、ありがとうね。
私、頑丈だと思われてるから、これくらいで心配されると思わなくて。すごく嬉しいよ」
「はァ!?心配なんかしてねェよ!!」
「ごめんなあフォイェンさん、カリムがツンデレで」
「誰がツンデレだクソが!!」
すっかり私のことを放置してじゃれ始めてしまった二人。
でも、なんだか私の心はぽかぽかしていた。
…正直、この歳になって改めて若い子達に混じって学校に通うことに、不安があったんだと思う。
こうして優しい扱いを受けたことが、たまらなく嬉しい。
「レッカ君、カリム君、ありがとうね。次は水曜日に顔を出すから、その時はよろしくね」
「ん?おお、よろしくな、フォイェンさん☆」
「………」
ぷいっと横を向かれても、今度はあんまり気にならなかった。
次に会う時は、もうちょっとこの子ともお喋りできるだろうか。
「フォイェン。よかったら一緒に帰るか?公共機関で来たんだろう?」
「え?」
着替え終わって、荷物をまとめた帰り道。
校門前で待っていたバーンズ大隊長の申し出を、断る理由も別にないので受けて、
ありがたく彼の車に同乗させていただくことにする。
『大隊長』に運転させてしまうのはどうかと思ったが、この車は彼の私物なのだし、
彼が真っ先に運転席に座ってしまったので、私は後部座席に荷物と腰を下ろす。
「…どうだった?初日は」
「…疲れました」
「はは、お前もまだまだ若いだろう。じじむさいぞ」
「高校生相当と一緒にはなれませんよ…」
一人中学生相当の子もいたけど。
次に会う時は、もうちょっとなついてくれるだろうか。
折角なので、いただいた氷はタオルハンカチに包んで、ついでに鞄の中の小物用のビニールポーチを
一旦空けて、そこにしまっておいている。
もう氷はかなり小さくなってしまっているのだが、いい感じに冷えた濡れタオルが出来上がって、
時折頭や頬に当てたりするとすごく気持ちいい。
「…あの子達を、どう思った」
「…クラスメイト全員ですか、二人だけですか」
「二人のことだ」
ミラー越しの大隊長の隻眼が鋭く細められる。
「…ざっくばらんに言えば、才能の塊、ですかね」
カリム君の『特別』っぷりにも驚いたのだが、レッカ君の方もあの歳にしては
相当レベルが高くまとまっていたと思う。
素直に言うことを聞く性格でもあるようだし、ああいう子は絶対伸びるし、先輩からも可愛がられる。
「仲良くはやれそうか?」
「ああ…はい、いい子達だとは思いますよ。
ただ、ちょっと…世代の差なのかな、言葉かけが難しいと感じたりもしましたが」
「ああ、カリムの方か?
あいつには色々無理をさせてしまっていてな。流石にちょっとストレスが溜まっているかな。
あれですごく真面目な性格なので、ついつい周囲の期待に応えてしまうし、
応えられてしまうものだから、なおさら負担がかかってしまうんだ。
それでいて全然弱音も吐かないから、余計に可愛げがないと思われてしまうようだ」
「真面目…かあ」
うーん…確かに、一見ガラは悪いけど、レッカ君を一生懸命注意したり、氷壁の出来に喜んだり、
自分でトドメをさせないことや自分の非力さににむくれたりしてる姿は、よくよく考えれば
歳相応で生真面目…ともとれるだろうか。
それに、なんだかんだで優しくて面倒見のいい子みたいだし。
よ ろ い
つくづくあのトゲトゲした外見と言葉でそれを包み隠してしまっているのが勿体ない。
「レッカは細かいことを気にしないからな。気にしすぎるカリムと相性がいいようで、組ませている」
「ああ、そうですね。いいコンビに見えましたよ」
「奔放過ぎてストレス溜まってもいるらしいがな」
「…そういうふうにも見えましたね」
けれど、クラスメイトとの間にあった嫌な空気も、間にレッカ君が入ることで緩和されていたと思う。
ああいう人を惹きつけるタイプの人間が一人いると、人間関係がよくなるよね。
「お前は神父としてよく働いてきたし、今まで教会に来る色々な人の言葉や懺悔を聞いたりもしてきただろう?
あの子達の助けになってくれるとありがたいな」
「た、助けですか?私が?」
「ああ。しっかりしているように見えても、年頃の子供だからな。
私もいつも側にいられるわけではないから、学生ならではの日常のトラブルだとか、
そういうのまで目を光らせられないんだ。
…特にカリムは本来なら一学年下だからな。クラスに馴染むだけでも大変だろう」
…うん、そうだな。
あの嫉妬や諦観の視線を一日中同じクラスの中で浴びるという環境は、かなりきついものがあるだろう。
レッカ君はそういうの全然気にしなさそうだから、いい味方になってるだろうけど。
「お前に母校で能力講習を受けることを勧めたのには、そういう思惑もあったんだ。
是非あの子達を見守ってやってくれ。頼んだぞ、フォイェン」
「はあ…」
正直、私も編入初日で結構参ったんだけどなあ。
まあ、大人なので顔には出しませんけどね。
「…まあ、ほどほどにやってみます」
「ほどほどに、な。カリムもそれくらいのスタンスでいてくれればいいんだが」
「私は彼とは逆に学科やらないでいい編入生ですからね。罪悪感わいちゃいますね」
「学科も受けとくか?数年前のことだと、もう記憶にないだろう?」
「ご、ご冗談を」
ははは、という小気味よい大隊長の笑い声を聞きながら、私は今日の出来事とあの少年たちのことを
しっかり思い返していた。
これからしばらく一緒に学んでいく身、上手く付き合っていけたらいいなと思いながら。
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