黄色のシンパシー
「…そうだね。テスト対策としては、こことここをチェックしとくといいよ」
「はア〜、さすが卒業生だぜ!ありがとな、フォイェンさん!」
片手でおにぎりをぱくつきながら、もう片方の手で器用にノートにマーカーを引いていくレッカ君。
その隣に座るカリム君が、迷惑そうに顔をしかめる。
「…米飛ばすな、レッカ」
「おお、悪いな!カリムも何か教わりたいことないか!?今のうちに聞いとくといいぜ!」
「…ねェよ。食べ物口に入れたまま喋って話すんじゃねェ。勉強は昼食食べ終わってからしろ」
「おお、さすが優等生だなカリム!!」
「ウルセェ!!!」
レッカ君のノートから下敷きをすばやく抜き取り、それで顔面を殴りつけるカリム君。
パーンという小気味よい音が食堂に響いて、周りの注目を集めてしまう。
「ふ、二人とも、落ち着いて…」
だが、慌てているのは私だけのようで、周囲の生徒達はすぐに興味をなくしたように
自分の食事に戻っていってしまった。
…相当『いつものこと』なんだろうな、この二人。
「んぐんぐ…うん、おかわりもらってくる!フォイェンさんも食べるか!?」
早くも3つ目のおにぎりを食べ終わったレッカ君が、おにぎり用のお皿と味噌汁のお椀を持って立ち上がった。
流石若い子、いっぱい食べるなあ。
「…おかわりというか、おにぎりって選べるのかな?」
「ん?」
「鮭のおにぎり、好物なんだ。量は別に足りてるんだけど、もう1つ食べたかったなあなんて」
今日は4限目の授業に出て、その後レッカ君とカリム君(というか主にレッカ君)に誘われて、
先生に許可を貰って学食でお昼を食べていた。
今日のメニューは和食で、おにぎりを一人2個(レッカ君のように最初から沢山食べたい人は、
食堂のおばちゃんに言えば3個とか)選んで、おかずやお味噌汁を貰っていた。
私の頃にはこういうのはなかったなあ。いつもトレーに全員決まったメニューが盛られていた。
本当は大好きな鮭を2個欲しかったところを、人気があって他のものより残りが少ないようだったので、
つい遠慮して、1つは別のを選んでしまったのだけれど…。
おにぎりはどんどん追加で握られていくシステムのようで、生徒達も遠慮なくおかわりしているようで。
おかわり出来るほど余裕があるのなら、素直にもう1つ鮭が欲しかったなあなんて思ってしまったのだ。
「…ん」
と。カリム君のトレーから、おにぎりが1つ、私の所にやってきた。
このピンク色のシールのついた包みは、鮭おにぎりだ。
「おや、交換してくれるのかい?ありがとう。でも、私の残りはおかかなんだけど、それでもいい?」
「…別に、俺は何でも構わない。お前らがそれ取ったから、ついつられて同じの取っただけだし」
「ありがとうね。じゃあ、これ」
にっこり感謝の笑顔と共に、こちらからもおかかのおにぎりを差し出す。
ぷいっとそっぽを向かれてしまったが、気を悪くしたような感じではなかったから、照れてるんだろう。
やっぱり根はいい子だなあ、この子。
態度はそっけないし、乱暴なところもあるんだけど、からくりが分かってしまえば、
その不器用な優しさにほっこりしてしまう。
トゲトゲした様子も、なんだか人に慣れない野良猫みたいで、猫好きとしては可愛く思えてしまうんだよね。
「カリムはプリンもう1個食べるかー?取ってくるけど」
「ぶはっ!!い、い、いらねェよ、そんなもん!!」
「じゃあ、取ってくるな〜☆」
「人の話を聞け!!」
甘党なのかな。可愛らしいことだ。そんなに真っ赤になって否定しなくてもいいのに。
ついニヤニヤしてしまったので、さっきの下敷きアタックが私にも飛んできてしまった。
「…で☆フォイェンさんは今日も神父の仕事なのか?」
5つ目のおにぎりと味噌汁とサービスで貰ったというお新香を食べながら、レッカ君が聞いてくる。
どれだけ食べるんだろう、この子。
対するカリム君の方は、2個目のプリンを口にしていた。結局食べるんじゃないか、とは言わずにおく。
「ああ、今日は一日非番。これから寄り道でもして帰ろうかくらいの感じなんだけど…」
「そうなのか!じゃあ、ヒマか!?俺たちと遊ばないか!?次の時間は履修してないからヒマなんだ!」
「俺は次補講」
「おおっとお〜〜☆何だよカリム、ノリが悪いぞ!!」
「ノリの問題じゃねェだろ…」
「この前も補講だったよね。そんなに隙あれば補講入れられちゃう感じなの?
そんなんじゃ遊ぶ時間もないんじゃないかい?」
なにげなく放った質問だったが、まずいことに、彼の逆鱗に触れてしまったらしい。
「関係ないだろ、アンタには…」
半分残ったプリンをレッカ君のトレーに押しやると、カリム君がガタッと乱暴に立ち上がった。
うわあ、またやっちゃった。この子の沸点を全然見定められていなかった。
「ご、ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「…補講行く」
「おう。頑張れよ、カリム☆」
この状況を分かってるんだかいないんだか、レッカ君がニカッと笑顔でカリム君を見送る。
「…あのなあ、フォイェンさん」
「あ、うん、ごめんね、空気悪くしちゃって…」
「いや、謝らなくていいんだけどな。カリムって、あれでまあ『いい子ちゃん』なんだよなあ」
カリム君によこされたプリンをすくいながら、レッカ君がちょっと真面目に話し始めた。
「『俺らに追いつけよ』って言われたら、本当に早く追いつかなきゃいけないみたいに思っちゃうんだ。
大変だろ?ただでさえ、俺らは1年分先に進んでるのに。
お偉いさんに言われるがままに、大人しくこの学年に来て、それで辛い思いしてさ。
外部からの編入生だから、今までやっても来なかったような聖書の知識やらミサやお祈りの手法やら、
消防官や焔ビトについての基礎知識やら、賛美歌の練習やら…。
俺らがもう、とうの昔に数年かけてやってきたものを、あいつは卒業式までに詰め込まなきゃいけないんだぜ?」
「…うん。追い詰められちゃってる…よね?」
「かもなあ。でも、カリムって、編入してきた当初から、結構あんな感じだったんだ。
ずっと焦ってるみたいっていうか、俺らじゃない別のものをずっと追いかけてるみたいな…。
それでも、あんな毎日クマ乗っけた、眉間にシワ入った顔ばっかりしてなかったぜ?」
プリンを食べ終えたレッカ君が、目の下に指を置いて隈みたいにして、口を尖らせる。
「まあ、心配じゃないっていったら、嘘になるけどさ。
でも、カリムって人に弱み見せたくないタイプみたいだからなあ。
俺からは何も言わないように、安全地帯になれるようにしてやってるんだ。
あいつが深く考えなくても、側に居れる奴としてさ☆」
…正直、ちょっと驚いた。
なんというか、レッカ君には『単純バカ』というか、いい意味でも悪い意味でも
あんまり物事を深く考えないような、カラッとしたイメージがあったから。
私、失礼だったな。こんなにしっかり相方のことを見てあげてるんだ。
先生達やバーンズ大隊長は、このことを見越して彼にカリム君の世話を任せたのだろうか。
「成績はいいんだよね、彼?」
「全然いいぞ。頭もキレるし、能力は言わずもがなだし、運動も結構出来る方だ。
でも、何でもソツなくやっちゃうから、先生も『じゃあ、あれもこれも全部出来るでしょ?』みたいに
次々押し付けてきちゃうんだよなあ。かわいそうに」
この前もレッカ君は『かわいそう』という言葉を使った。それを彼に言うことはしないみたいだけど。
「まあ、男にはプライドってものがあるからな☆
カリムが強がってるうちは、あんまり口出ししないようにしてやってくれ。その方がカリムも楽そうだから」
「わ、分かったよ。本当にごめんね、ついつい何でも詮索しちゃって…」
「謝るのは俺にじゃないだろ。まあ、カリムも何回も謝られても困るだろうから、その辺にしてやってくれ☆」
「…君はなんだか彼のお兄ちゃんみたいだね」
「弟の方が出来がいいけどな☆」
冗談めかして親指を立てて笑うレッカ君。彼が笑うと、太陽が照ったようにその場が明るくなる。
こういうのは持って生まれた才能だろう。
さぞ子供の頃から可愛がられて育ったに違いない。
「ちなみに、レッカ君は兄弟いるの?」
「んー?俺は孤児なんでな☆孤児院の仲間達が兄弟っちゃ兄弟だな!」
……また、やらかしてしまった。
神父やシスターを目指す人にはその傾向があることを、知識としては知っていたはずなのに。
「ご…ごめんね……デリカシーのないことを…」
「あーほら、また謝ってるぞ!
俺は実の親の顔なんて覚えてないけど、育ててくれたシスター達の愛や教えは、ちゃ〜んと覚えているんだぜ!?
悲しいようなことなんて、何もないだろうが!?」
バッサリと切り捨てるレッカ君。
…彼にこういう達観した一面があるなんて、思いもよらなかったな。
だからこそ、さっきみたいに、冷静にカリム君のことを見る余裕があったのかもしれない。
彼はカリム君のことを『かわいそう』と言ったけど、自分の生い立ちのことは、
なんでもないようにあっさり流していた。
悲しくはないのだろうか。悲しみを感じることも出来ないほど幼かったのだろうか。
…ああ、もう、また詮索しそうになってしまった。やめないと、このクセは。
「ちなみに、カリムはちゃんとご両親がいるぞ。カリムが能力者だと分かった時、泣いて喜んだそうだ!」
「へえ、それはおめでた…」
「カリムはな、受験する学校のことで、両親とモメてたんだってさ!
カリムは楽器が好きだから、吹奏楽とかバンドとかの部活が盛んなとこに行きたいのに、
両親はガリ勉学校に通わせて公務員にさせたかったらしくてなあ。
カリムが消防官の素質があって、しかもお偉いさんから『是非この子を預からせてください!』なんて
頭を下げられて、受験なんかすっとばして飛び級で編入だし、めちゃくちゃ鼻が高かったんだってさ!!」
「レッカ君、それ、悪い話だよね!?あんまりおめでたい話じゃないよね!?」
「セイ?別に、俺はおめでたい話とは言ってないぞ?」
心臓に悪いからもうやめてくれ。どこに蜂の巣があるか分からない。
今日だけで寿命が多分3年くらい縮んだ気がする。
「ねえ、私のことムカついて、こんな話してるわけじゃないんだよね?」
「何言ってるんだ、俺はそんな意地悪はしないぞ?☆」
うん…『疲れる』な。『疲れる』だ、この子を一言で言い表すなら。
カリム君、あの精神状態でよくこれに耐えてるな。
「さ〜てフォイェンさん、飯も食べたし、何して遊ぼうか☆」
「私、急用を思い出したや。今日のところは帰りますね」
「セイッ☆!?」
これ以上の失態を犯す前に、今日はもう家(教会の宿舎の自室)に帰りたかった。
首をかしげるレッカ君におざなりな挨拶をしてから、食堂を後にする。
…大変なんだなあ、あの子達も。
あんなに元気に、『普通』の子供っぽく見えたのに。
私は普通に両親(温厚)がいるし、消防官になる夢もニコニコ笑顔で応援してもらって…。
そんな『ごく普通』の自分の生い立ちがぜいたく品のように思えてしまう。
フラフラ校内を歩いていると、『図書室』の札が目に入った。
しめた。一応私もこの学校に通って学ぶ身、ここを利用しても構わないはずだ。
このモヤモヤは大好きな読書をすることで晴らすとしよう。
まずカウンターに向かい、自分が編入生であることを司書の先生に伝えると、早速私用の図書カードを作ってくれた。
貸し出し期間は一週間、一人3冊までということなので、早速本を選びにかかる。
やっぱりこれから乗る電車の中でも楽しめるような、さくっと読める小説がいいかな。
…と。
ふと目をやった先に、机の上に完全に突っ伏してしまっている生徒を発見した。
その髪は、見慣れた青灰色。
「…カリム君…。疲れてるんだろうなあ…」
机には何冊もの辞書や図鑑、原稿用紙が広げられている。
どうやら補講は早めに終わって、残った時間で出されたレポート課題に取り掛かっていたところみたいだった。
組んだ腕に埋められた顔は、きっといい表情じゃないだろう。
風邪をひくかもしれないし、ちゃんと自分の部屋で寝た方がいいと思うけど…どうしようか。
起こしてまたうっかり変なことを言って、怒らせてしまわないだろうか。
…などとぐるぐる考えていると、5限終わりの鐘が鳴った。
うん、起こすならこのタイミングだ。これはもう起こすしかない。
「カリム君。カリム君、起きて?」
「ん……ん…ぅ…」
肩を揺すると、いつものだるくて突き放したような硬い喋り方じゃなくて、
むにゃむにゃふにゃふにゃした声が返ってきた。
え、ちょっとかわいいんですけど。
「カリム君。ごめんね、今ね、5限が終わったみたいだよ。次は授業入ってるのかな?かーりーむーくーん」
ここは図書室なので大きな声は出さずに、身体を揺すぶる方をメインにして起こそうとする。
しばらく揺すぶってると、眉間にシワの寄った顔が、組んだ腕の中からのろのろと持ち上がった。
「あっ、カリム君。ごめんね、今鐘が鳴ったから。5限が終わったみたいなんだけど、次の授業は大丈夫?」
「え…?」
とろんとした目が、ボーっと私を見つめる。いや、見つめられてなさそうだけど。
とりあえず、焦点は私の方に合わせようとしているつもりのはずだ。
仕上げにもう一言、声をかける。
「カリム君、疲れて寝てた?さっき、5限が終わったよ。起きなくても大丈夫?」
「5限――…、っ!!」
がばっと、カリム君が跳ね起きる。
「ああ、おはよう。6限、授業か補講あるの?急いだ方がいいんじゃないかい?」
「〜〜〜〜っ!!」
慌てて出しっぱなしの辞書や本をまとめようとする手を、私は親切心からやんわり止めた。
「何する…」
「しっ。声、大きいよ。とりあえず、自分が借りる本やノートだけまとめなよ。
それ以外の本は、私、この後ヒマだから、片付けとくよ」
「は!?何で、お前――」
「全部片付けてたら、次の授業、遅刻しちゃうでしょ。鮭おにぎりのお礼だよ。…ね?」
最後のは正直とってつけた言い訳みたいなものだったが、カリム君はちょっとぽかんとした後に、
「…別にあんなの…」とごにょごにょしながら、私の言うようにして急いで図書室を出て行った。
「…今度、借り返す」
うわあ、本当に真面目な子だ。去り際にこんなこと言っていったよ。
彼が置いていった辞書や図鑑を片付けていると、司書の先生がおずおずとこちらにやってきた。
「…あなた、あの子とお知り合い?」
「はい?…ああ、クラスメートですよ、一応は。私、参加する授業が限られてますけど」
「ああ、そうなの…。いつもレポートだとか勉強ばっかりしてるのよね、あの子。
先生に聞いたら、飛び級で補講が山のようにあるって話だし…。多感な時期なのにねえ…」
ふっくらした、いかにも優しいおばさんな司書の先生が、心配そうに溜め息を吐く。
…そうだよね。多感な時期なのに。親やお偉い方々から、思いもよらない勉強をやらされて…。
私だったら多分どこかでグレてるなあ。いや、グレた結果が今のカリム君なのかもしれないけど。
ちょっとこの学校に編入する前のカリム君が見てみたくなった。
「たまには遊びに連れて行ったりしてあげてね?じゃないとパンクしちゃいそうで、心配になっちゃう」
「あ、はい…そうですね。機会があれば…」
その機会があるかちょっと分からないけど。
…そう言えば、カリム君って、この前の授業で『第1の機関員に武器を特注してもいい』とか
言われてなかったっけ。
うち
もし彼がよかったら、第1に誘ってみるのはいいかもしれない。
「私はあの子好きですよ。案外優しいんですよ、あの子」
「ああ、そう?そうなのよね、一見ちょっと怖そうだけど。
私も高いところの本を一人で整理してたら、近くの本を選ぶふりしてさりげなく脚立を支えてくれたり、
ばらまいちゃった図書カードを拾ってもらったりしちゃっててね。助かっちゃったわ」
どうやら意外とマダムキラーの素質がおありのようだ。
とりあえず、片付けをして適当に小説を見繕ってから、司書の先生にあいさつをして、図書室を出る。
…しかし、大丈夫なのかなあの子。
真面目と評判の子が課題中に居眠りだなんて、かなり疲労が溜まってるんじゃないだろうか。
目の下の隈も、いつ見ても全然取れてない気がするし。
彼は私より3ヶ月ほど前にこの学校に来たという。
というと、今9月だから、6月に編入して、それからレッカ君と同じタイミングで卒業できるように、
夏休みも返上で、授業をドカドカ詰め込まれてるってことだよね。
それは幾ら優秀といっても厳しくないだろうか。
先生達から『それはちょっと無理じゃない?』っていう意見は出なかったのだろうか。
編入によって受験生であるプレッシャーは消えたのだろうけど、今度は卒業と神父の資格を取る方に
プレッシャーがかかってしまって、これじゃ踏んだりけったりだ。
なんだか自分のことでもないのに息苦しくなってきてしまった。
…学生時代のノート、実家にならあったかな。
ふと思いついて、電車の路線を寮とは別のものに変更することにした。
…また、怒らせちゃうかな。余計なことしてるって。
でも、あの優しい子が、優しさを素直に出せないほど心を壊してしまうなんて、そんなの勿体ないと思うんだもの。
効率よく勉強して、少しでいいから遊んだりする心の余裕ができたらいい。
そう、思ったんだ。
「――は?」
「だからさ。本当、余計なことかと思うんだけど。これ、使ってよ」
2限の能力講習授業が始まる前に、『ちょっと借りの件なんだけど、あとで時間いい?』と持ち出したら、
彼は二つ返事で空き時間を教えてくれた。
人気のあまりない、5限の中庭のベンチ。
レッカ君や他のクラスメートは、無能力者クラスと合同で技術か家庭科の選択授業があるそうだが、
カリム君はその手の授業は免除されていて、後で出されたレポートを提出するだけでいいらしい。
そこで、私は実家の部屋から持ち出したノートや昔の教科書を取り出した。
「…『借り』の件じゃなかったのか?」
「だから、『君が私の言うことを一つ聞く』ってことにして欲しいんだ。
そして、これを使って欲しい。少し生活に余裕が出来ると思うよ?」
「意味が分からない。馬鹿にしてんのか?」
「そ、そうじゃないよ」
ああ、またイラつかせてるな。レッカ君もいた方がよかったかなあ。
でも、レッカ君には居眠りするほど疲れてたこと、知られたくないんじゃないかって思ったものだから。
「……バーンズ大隊長も、君の事心配してるよ」
「っ!」
大隊長の名前を出すと、流石に顔色が変わった。
「…私に、自分はいつも側にいられるわけじゃないから、君たちの事見てあげてって言ってて…。
私、君達に色々学園生活のフォローをしてもらってるよね。
私からも、そのお返しや埋め合わせが出来たらって思った上での行動だよ」
優しく言ったつもりだけど、みるみるうちに彼の顔は曇っていった。
「……大隊長……信頼されてないってことかよ…」
「えっ!?ちょ、違うよ、これは私が勝手に…」
「いちいち手を貸さなきゃ、俺がちゃんと出来ないと思ってるのかよ。お前も…大隊長も」
――完全に失敗だ。すっかり下を向いてしまった彼の握られた拳は、悔しさでぶるぶる震えていた。
「違うよ、ごめんね、大隊長はこうしろって言ったわけじゃないよ。このノートは私の判断で持ってきたんだ!」
「お前に監視を言いつかうくらいには信頼してねェだろ…」
「監視って…」
あああ、まずいな、どうしよう。完全にまずい空気になってしまった。
どうして、いつもこの子とはこうなってしまうんだろう。
仲良くしたいんだよ。だって、初日に優しくしてもらったから。それがとても嬉しかったから。
彼から貰った優しさを、私だって返したい。それだけのことなのに、なんでこんなに上手くいかないんだろう。
「…もう、いい。時間の無駄だ。『借り』の件は他のことにしてくれ」
そう言って、彼はベンチから立ち上がる。
「カリム君、」
「…あのさ。怒らせたくないなら、もうこういうのやめてもらっていいか。
俺も忙しいんだよ。やることが沢山あって、あんたのことどころじゃないんだ…」
そう言う彼の青白い顔には、隠し切れない疲労が滲んでいて。
胸がギュウッと締め付けられた。
「……ごめん」
「謝るな」
「あ…ごめん…。レッカ君にも言われたや、ごめんごめん言うのやめろって…」
最後に私を一瞥すると、カリム君はきびすを返して去っていってしまった。
――だって、力になりたかったんだよ。君が必死に頑張ってるのは分かってるから。
「はあ…。どうするかな、これ…」
手元には、役目をなくしたノート達。
…レッカ君とか、使わないかな。
というか、レッカ君に言っておかないといけないよな、カリム君とまたこじれたこと…。
「……って、あれ?」
ふ、と。本当に偶然、カリム君が去った方に目をやった瞬間。
うずくまる学生服が目に入った。
――思わず駆け出していた。
「っ、カリム君!?」
力なく抱えた膝に顔を埋めているその髪色は、さっき別れたばかりの青灰色。
「どうしたの、貧血!?ねえ、大丈夫!?」
「…っ…」
熱があるか確認しようと思って触れた額は、常人のものとは思えないほど冷え切っていて。
氷の能力使いだから元々体温が低いのかもしれないけど、それにしたって、この体温の低さは異常だ。
「カリム君、ちょっとごめんね!」
――もうお節介でも迷惑でもいい!これ以上見てられないよ、こんなしんどそうに生きてる子を。
横抱きにして、おなかの上に手持ちのノート類をちょっと置かせてもらって、救護室へ運ぶことにする。
ぐったりとして、力なく腕で顔を隠す様子は、こんな時でも弱みを見せようとしない必死な意思を感じて。
――弱音を吐かなくて可愛げないと思われがちなんて、大隊長は言ってたけど。
それにしたって異常だろう。中学生相当の子供が、ここまでするか?
早く大人の仲間入りをしなくちゃだから?どうしてそこまでしなきゃいけないんだ?
もうこっちまで悲しいよ。
両手がふさがっているので潤んできた瞳を拭うことも出来ず、私は救護室に向かう。
まだ若そうな女性の養護教諭に事情を説明し、冷たい身体をそっとベッドに納め、先生が体温を測ったり、
ポットの白湯を用意したりするのを手伝う。
完全に意識を失ったというわけでもなく、すっかりぼんやりとして空ろな顔をしているカリム君に、先生も困惑していた。
手を顔の前でひらひらさせたりしてみても、死んだ魚のような瞳は反応がない。
ヒトは寒ければ本能で身体が震えたりとかするだろうけど、彼はただ静かに、気持ち悪いくらい静かに
ぼうっと虚空を見つめている。
これで呼吸をしていなければ、死体か人形かと思うくらい、静かで冷たい。
「私は無能力者なんで、能力関係の身体異常にはあまり詳しくないのだけれど…。
まあ、第三世代で言うところのオーバーヒートに近いものかしらね。
疲れとか、能力の使いすぎとか…そういうので、身体のバランスが乱れてしまって、
自分の能力に身体が振り回されてしまったのかしら?」
「いわゆる自律神経の乱れで冷え症になるのの酷いの…みたいなことですか?」
「分からないけれどね。
普通の人が過労で熱が出るような状態が、この子の場合、熱が下がる方にいっちゃったのかもって」
過労、か。予想してはいたけど、子供がかかるにはあまりにも悲しい病名だ。
「解熱剤の代わりに、温めてあげればよくなりますか?」
「だから、分からないってば。こんな症状、というか能力の子が初めてだもの。
あと、君が言うとおり、貧血っていうこともあるかもね。貧血が冷え性の原因って人もいるから。
サプリとか栄養ドリンクもあげてみましょうか」
先生が薬箱やカイロを探す間、私はそっと青白く冷たい頬に手を寄せてみた。
…嫌がることも出来ないほど、疲れてるのかな。
ただただボーっと私の手を許容している姿に、また悲しくなる。
「…怒鳴っていいよ。私のこと、怒っていいから。元気になってよ」
無理を言ってるなあと自分でも思う。でも、こんな弱ったカリム君なんて見たくなかった。
柄は悪いし、ちょっと怖そうだし、すぐ怒るからやっぱり怖いし、
でもレッカ君と一緒にぎゃあぎゃあ騒いでる元気なカリム君の方がいい。
欲を言うなら、歳相応に、バカやって笑って怒って泣いてくれてたらもっといい。
「…何で、そんなに無理するの?皆にやれって言われるから?」
返事が返ってくるとは思ってない。でも、独り言を続ける。
「さっきは傷つくようなことを言ってごめんね。あれもストレスになったよね。
私の言い方、いつも君の事逆なでしちゃうね。
でも、そうじゃなくて。私も大隊長も、君がとても心配なんだよ。
君の成績とか行動じゃなくて、君がそうやって無理しちゃうことが、だよ」
気持ちをこめて、白い額を撫でる。触れた髪は思ったより柔らかい猫っ毛だった。
「立派な消防官になるって強い気持ちがあるの、ちゃんと分かってるよ。
だからこそ、そのお手伝いがしたい、無理なく生活して消防官の資格を取って欲しい、そういう気持ち。
それを伝えたかったんだ。本当に、馬鹿にしてなんかないよ。
それがなきゃ君が消防官になれないとも思ってない。君が優秀なことはちゃんと分かってるよ。
――それでも、あんまり自分で身体をいじめるようなことをしないでほしい。お願いだよ」
表情の乏しい顔からは、また怒らせたかどうかは読み取れなかった。
先生がカリム君の首やおなかにカイロを当てたり吸い飲みで白湯を飲ませるのを少し手伝ってから、
私はカリム君が6限をお休みするのを伝えるために、彼らのクラスを目指した。
「――すみません、次の6限なんですが」
とりあえず、5限終了のチャイムが鳴るのを待ってから、初めて『自分のクラス』の教室に足を踏み入れた。
「あれ?フォイェンさん?」
「どうした、リィ?こんなところに」
座学はもう履修し終えてるので、この教室には初めて来た。
先生や生徒達も不思議に思っているようだ。
「あの、カリム君、さっき一緒にいたんですけど、ちょっと具合が悪くなってしまいまして。
救護室に連れて行きました。6限はお休みさせてあげてください」
ざわっと、教室が色めき立つ。
先生は焦ったような顔で私の両肩をつかみ、揺さぶってきた。
「ど、どういうことだ!?彼、倒れたのか!?」
すっかり目が血走っている。
教え子が体調不良になったというくらいでは少々過剰に感じるその必死さに、こちらも驚いてしまう。
「あ、あの、救護の先生は過労みたいなものかもって…」
「過労!?何で…こうしちゃいられない、他の先生は知ってるのか!?」
「え?あ…いえ…」
「あの子は第1からの大事な預かりものなんだぞ!?どうしてそんなことになった!?」
「先生。落ち着いてくださいよ☆フォイェンさんだってビックリしてるじゃないですか☆」
誰よりも冷静な声が、教室に響いた。
レッカ君が、奥の自分の席からこちらにタタッとやってくる。
先生も我に返ったようだ。
「で?カリム、どうしちゃったんだ?」
「あ…身体が氷みたいに冷たくなって、意識も朦朧としちゃってる感じで…。今、身体あっためてる。
救護の先生も、カリム君みたいな能力者は初めてだから、よく分からないって」
「んー…能力の暴走って感じではない?」
「歩いていて急にガクン、って感じ。能力を使ってて失敗しちゃったっていう感じではなかったよ」
「そうか。分かった。じゃあ、先生、とりあえず、次の授業、俺とカリムは休みにしてください。
カリムの意識が戻ったら、ちゃんと説明に来させますんで。俺、代表でちょっと様子見てきます」
「あ…そ、そうだな。ひとまず親友のお前が声かけてきてくれるか?」
「はい☆」
ダッと駆け出すレッカ君。
カリム君はレッカ君に弱ったところを見られたくないかもしれないけど、すでに倒れてしまった今、
いちばん頼りになるのはこの子以外にいないだろう。
私も本音は着いていきたいところだったが、お邪魔虫になりそうなので遠慮しておく。
「…リィ君。君、何かしたわけじゃないんだろうね?」
「な、なにかって…」
「だから…いじめだとか、そういうストレスになりそうなことだよ。君といて具合が悪くなったんだろう?」
先生にじっと睨まれて、たじたじになる。
うう…確かに、私の言動が引き金になってしまった可能性はある。
けれど、私は彼をいじめようだとか、そんなつもりはなかったんだけど。
「せんせー。入ったばっかの編入生に、そんなこと言ってもさあ」
「そうそう、かわいそうですよお〜」
「カリムが勝手にテンパッて、勝手に倒れたんじゃないの?あいつ、マジ怒りっぽいし」
「フォイェンさん、いつも親切にしてると思うよ?カリムがいつもみたいに逆ギレしたんでしょ」
クラスメイトが口々に私の援護射撃をしてくれた。
ありがたいといえばありがたいのだが…
その分カリム君に非があるような言い方で、決していい気分にはなれなかった。
「大体さあ、フォイェンさんも気を遣って話しかけてあげてるのに。あいつ、愛想悪くて疲れちゃうでしょ?
ちょっと成績いいと思って、お高くとまりやがって」
「君達、やめなさい。年下なんだぞ、それくらい目をつぶってやりなさい」
「そんなこと言ったって、先生。大隊長とかも、み〜〜んなあいつばっか贔屓してさ。
面白くないですよ、こっちは。俺達だって一生懸命やってんのに」
カリム君だって、倒れるほど一生懸命やってるんだけど。
…トラブルを起こしたくはないので、一応その言葉は飲み込んだ。
「し、仕方ないだろう。幾らあがいたって、生まれついての能力の差っていうのはあるんだから。
あれはまさに『エリート』様だよ。お偉いさんから『大事に育ててくれ』ってお達しが来てるんだ。
何かあったら当校の責任問題になるぞ」
「そんな『大事に』とか言ってるから、調子乗るんじゃないですかあ?」
「あいつ、いつもいつも、俺達のこと馬鹿にしたようなかったるそうな目で見てるしさ。
俺達だって、最初は仲良くしてやろうと思いましたよ?
でも、あいつから『何か教えてくれ』って声かけられたこともないんですよ?
どうせ俺達は一つ下のお前に勝ててねえよ。俺らなんかから教わることなんか、何もないだろうよ」
本人もレッカ君もいないところで、皆の不満が爆発する。
…かったるそうな目は、それは単に目つきや愛想が悪いだけだと思うよ。決して馬鹿にとかはしてないと思う。
勉強を聞いてこないのは、先生から教わった時点で理解出来てれば生徒に聞く用はないだろうし、
残念ながら普通に君より彼の方がおつむがいいからだ。
能力のことだって、皆が『炎』の能力を持つ中、一人だけ『氷』の能力を持つカリム君が、
どんなアドバイスを貰えというのか。
――けれど、それは私が、彼は本当は優しくて真面目な人間だと知っているから出せる答えだ。
この子供達は、それを知らない。表面上の彼しか知らない。だからイヤミな行動に映る。
それを知らせる努力をしなかったカリム君にも非はあるのだろうが、こんな編入したての私が気がつくことを
無視し続けて知らずにいたのは、この子供達自身の責任だろう。
あのひ
「…初日。冷気を浴びた後の私の体調だとか、頭ぶつけたの大丈夫かとか、
心配してくれたのってカリム君だけだったんだけど?」
「は…?」
私が不機嫌になったのを察したのか、生徒達が口をつぐむ。
わたし
「大人だって、初めて一人でこんな年下の子達に混じって勉強するなんて、不安だったんだよ?
でも、私はカリム君に優しくしてもらって、ほっとしたんだ。
その子が優しくないって言うんなら、君達の誰も優しくなんかないよ」
…大人気ないけど、もう我慢できなかった。
それ以上は何も言わずに教室を出て、救護室の方に向かう。
部屋の中をそっと覗くと、ベッドの側のパイプ椅子に座っていたレッカ君が私に気付いて、部屋の外までやってきた。
「カリム、さっき寝られたとこなんだ。今日はこのままここで様子見るらしい」
「そう。少しは様子落ち着いたかな?」
「大分身体も温まったみたいだしな。栄養剤とかも点滴で入れてもらってるし、多分もう大丈夫だ」
「よかった…」
ほっと胸を撫で下ろす。
「…ちょっと大事になりそうだったよ。先生とか大慌てで」
「クラスの奴ら、ここぞとばかりに何か言ってたろ?」
「……」
「ぶっ!!フォイェンさん、顔、顔!すっごくコワイぞ!?」
レッカ君に大笑いされた。そこまで笑わなくてもいいと思うんだけど。
「別にいいんだよ、カリムのいいとこは俺とか大隊長とか、フォイェンさんとかが分かってれば☆」
そこに私をカウントしてくれていることが嬉しかった。
「そうそう、カリムがな、フォイェンさんに伝えてくれって!」
「えっ!?な、なんだろう?」
期待半分不安半分で、つい身を乗り出して聞く。
「『借りが二つになった』ってさ」
ああ、もう…。どこまでマジメなんだか。流石に私も顔を覆う。
「…不器用にも程があるよ」
「ははは☆まあ、俺もそういうとこが気に入って、一緒にいるんだ」
レッカ君の表情は明るい。
「ちゃんと見てたら、ちゃんといい奴なんだよ。
クラスの奴らも、嫉妬とかのフィルター越しに見てないで、ちゃんとカリムを見てればいいんだ」
おお、名言。思わず拍手してしまう。
「…じゃあ、今日のところは私、帰るね。あ、差し入れとかした方がいいかな?」
「いや、今点滴してるからな。次に来た時に、懲りずにまた声かけてやってくれ。
多分、気持ち態度が軟化か硬化してると思うから」
「硬化は困るな。レッカ君、フォローしといてよ」
「合点だ☆」
ノリノリで我々はコツンと拳を合わせた。
ダウン中のカリム君には申し訳ないが、こういうのは結構楽しい。
「ああ、そう。カリム君には拒否されちゃったんだけど、私の昔のノート、持ってきたんだ。
救護室に置きっぱなしだと思うんだけど。あれ、よかったらレッカ君使ってくれない?」
「セイッ☆?試験対策とかのノートか?いいのか、貰っても!?」
「うん、先輩として何か出来たらと思って持ってきたんだけど、
カリム君には馬鹿にしてるように思われちゃったみたいで…」
「OK、下心ないこと伝えて、改めて一緒に使わないか誘ってみるぜ☆」
ぐっと親指を立てて笑うレッカ君。ううむ、頼りになりすぎる。
後ろ髪をひかれる気持ちがないわけじゃないけど、これなら安心して帰れるな。
「じゃあ、また明後日、次の授業で」
「うん!じゃあな、フォイェンさん!!」
レッカ君はいつもの笑顔で大きく手を振ってくれた。
その『次の授業』で、ついついフライング登校してしまったのは、まあご愛嬌だと思う。
2限に、着替えた状態でグラウンドに顔を出せばいいところを、1限の授業が終わったところで、
私は再び『自分のクラス』の教室のドアを開けた。
「おはよう!着替えに行こう!」
「!!?」
「おー、行こうぜフォイェンさん!!」
一人ノリノリのレッカ君が、両手バンザイで迎えてくれる。
その隣に青い髪の少年の姿を認めて、私はほっと息を吐いた。
「カリム、ほら、フォイェンさんが来たぞ☆」
「…見れば分かる。着替え行くぞ、次に遅れる」
ぷいっと顔を背けて筆記具を片付ける姿に苦笑する。
…これは、『軟化』の方じゃないかな。レッカ君はいい仕事をしてくれたらしい。
「おー、おにいちゃまがお迎えにいらしたぜ、エリートサマ。
大事なお身体なんだから、またぶっ倒れちゃわないように、お手手引いてもらったら?」
と。
二人の前の席に座っていた男子生徒が、揶揄するような声で、カリム君に声をかけた。
…私が前に口答えしたこと、きっと根に持ってるな。
私は自業自得だからいいけど、カリム君の方に矛先を向けるのはやめてほしい。
「……」
眉間にくっきりシワを刻んで、無言でカリム君が私のいない方の教室のドアへと向かう。
レッカ君がチロリと生徒の方を呆れた顔で一瞥してから、カリム君の後を追った。
「フォイェンさん、さあ、行こうぜ☆」
「はいはい。カリム君、久しぶり。今日は体調は大丈夫かな?」
「……」
「一昨日と昨日、ゆっくり休んだからな!今日は久々に顔色がいいと思うぜ!」
「…その分、遅れの分の補習入ったけどな」
ぼそりとカリム君が喋る。
ああ、よかった。ほっとした。私達、ちゃんと喋れてる。
目の下の隈も、すっきり取れてるみたいだし。
彼の不健康そうな雰囲気を強めていたそれが取れると、14歳という年齢からしたら少し大人っぽい、
でもやっぱりまだあどけなさが残る少年の顔がそこにあった。
毛を逆立てた猫みたいな、あのトゲトゲした雰囲気が薄れると、青い三白眼気味の垂れ目は、
いつもと真逆の気だるそうなゆるゆるした空気を漂わせていた。
元はこういう感じの顔だったんだなあ。
…おっと、また怒らせるとまずいから、あんまりまじまじと見ないようにしないとね。
「その程度の遅れなんか、すぐ取り返せるんだろー?天才ですから」
…まあ、当然同じクラスの子は次の授業の行き先も同じだから、私達の後ろに例の男子生徒達もぞろぞろ着いてくる。
カリム君、今回隙を見せちゃった感じになっちゃったなあ。
あんなに頑張って弱みを見せないようにしてたのに、内心悔しいだろうな。
「まあ、天才もヒトの子だよなあ。二日も寝込むなんてよお」
「体調管理がなってねえんじゃねえの〜?消防官として、それってどうなの?」
「…カリムはまだ学生だぞー?☆」
レッカ君がなんでもないことのように言って親指を立てて場を繋ぐ。すばらしいコミュ力だ。
そう、彼のおおらかさは素晴らしい。だが。
「そうだな、幾ら能力がすごいって言ってもなあ?」
「まだまだガキだもんなあ」
「うん、当たり前だよね?」
「ハア!?」
まだからかい足りなそうな生徒に向かって、私は足を止めて振り返り、わざとにっこりと笑ってみせる。
「天才様だろうが大隊長様だろうが、おなかも空くし寝る時は寝るし、トイレだってお風呂だって行くでしょう。
疲れるのだって、頑張りすぎたら倒れるのだって、人間なんだから当たり前でしょう。それがどうかしたのかな?」
「え…っ」
まさか私がまだ戦闘態勢を続けていたとは思っていなかったようで、意表を突かれた子供達が黙り込む。
残念ながら、熱しにくく冷めにくいタイプなんですよねえ、私って。
「あれ、君達、バーンズ大隊長や皇王様はご飯食べなくても寝なくてもへっちゃらとか、幻想抱いてるクチですか?
その歳にもなって??」
「なっ!?」
最後はワザと意地悪な口調にしてやる。
ケンカは好きじゃないですけど、カリム君のことをいじめたお仕置きはしないとね。
「無理して倒れたってことは、倒れるほど必死に頑張ってた証拠ですよ。
カリム君は何もしないで甘やかされてるわけじゃない。ちゃんと頑張る子だから、大人は甘やかしたくなるんですよ。
そんなの、編入したての私にだって分かるのに。鈍いんじゃないですか、貴方達?」
「にっ、ニブ…!?」
「そんなに自分も褒めてもらいたいんだったら、まあ、君達も一度、倒れるほど必死に肉体を酷使してみましょうよ。
そうしたら、きっとカリム君みたいに甘やかしてもらえるんじゃないですか?
頑張ってください、応援しますよ!!」
「…フォイェンさんって意外と毒舌なんだな…☆」
・・
振り返ったら、あのレッカ君が若干引いていた。
倒れていて私の暗黒面を今まで見ていなかったカリム君は、口を開けて呆然としている。
「ああ、ほら、早く着替えてグラウンドに行かないと。授業、遅刻しちゃいますよ?」
「お、おう、そうだな☆みんな、ダッシュで更衣室に行こうぜ☆セイッ!!」
「…廊下は走んな」
「カリム!そこでいい子ちゃん出すんじゃないぜ☆」
兄弟漫才につい噴き出してしまったら、カリム君にじろりと睨まれた。
ごめんごめんと軽く叩いた肩は、今日は拒絶されなかった。
――ああ、どうやら『お願い』は叶ったようだ。
「……これで借り、4つだな」
「え?」
組手の順番を待つ間、レッカ君と他の生徒の戦いを見守りながら、ぼそりとカリム君が話しかけてきた。
ええと…(私はおにぎりの件で相殺になってると思うんだけど)図書室の件でしょ。
救護室に運んだ件に、さっき悪口のフォローしてあげた件。
思いつくのはこれだけだけど、他に何かあったっけ…?
「…ノート。一応受け取った」
レッカ君て神か何かか。いや、この場合はキューピッドか?
「う、うん。ごめんね、最初の渡し方が下手だったね。やっぱりレッカ君に間に入ってもらうべきだった」
「…別に」
「頑張ることは大切だけど、倒れるほど頑張りすぎないでね。
その『すぎない』のためにノートを活用してくれたら嬉しいよ。
君は『すぎな』くったって十分成績取れてるんだから、息抜けるところはちゃんと抜きなさい。
じゃないと潰れちゃうよ」
「…あんたは先生か」
「先生っていうか、『教会の神父』の目線で言ってるかな。
忘れてるかもだけど、一応きちんと働いてる大人ですので」
なんだか今日はお互いするする言葉が出てるみたいで、嬉しい。
…というか、そもそも本来のカリム君の性格が、あんなに噛み付いてくるようなものじゃないんだろう。
きちんと休んで余裕があれば、こうして角が取れてとっつきやすくなるんだから、きちんと休んで欲しい。
「あー!!二人して、何青春してるんだー!?俺も混ぜろー!!」
「ぐっ!?」
…組手が終わったらしいレッカ君が急にカリム君にフライングクロスチョップをかましてきて、
折角のいい雰囲気が台無しになった。
当然のようにカリム君がキレる。
「ふざけんなレッカアア!!」
「カリム君、病み上がり、病み上がり。レッカ君も空気読んで」
「おう、ごめんなー☆で、何話してたんだ!?」
全く反省してるように見えないが、一応今回の救世主様なので、不満は飲み込んでおく。
「…別に、雑談な雑談だよ」
「ほう☆二人は雑談する仲になったか〜☆」
「何が言いてェ」
すっかり私を放置してキャンキャンやりだしたお二人さんに、いつもの風景が戻ってきた安心感と、
ほんのちょっとの寂しさを覚えながら、私もそろそろ相方を見つけて組手に入ろうとする。と。
「…おい、あんた」
「ん?何かな、カリム君」
折角の彼からのお声かけだ、にっこり笑顔で応対する。
「〜〜〜で、いい」
「ん?」
「……カリムで、いい」
「え、」
「〜〜だから!君とかいちいちむずがゆくてむずむずする。カリムでいい」
「あー!なら俺も『レッカ』でいいぜ!!俺達も『フォイェン』って呼ぶから☆
ぶっちゃけ言いにくかったんだよなあ、『フォイェンさん』って!」
がっしりカリムく…カリムの肩を組みながら、レッカがウインクする。
え、ちょっと、本気で嬉しい。
この子は本当に私を喜ばせるのが上手だなあと、とろけた頭で考えた。
「――うん。カリム、レッカ、これからも仲良くしてね!」
「別に今まで仲良くしてはいねェよ」
「ひどい!?」
「まあまあ☆これからもっと仲良くなればいいんじゃないか!?」
今度の言葉は否定されなかったから、私は気をよくして、肩を組む二人の間に割り込んで双方と肩を組んだ。
「うおっ!?」
「アハハハ!結構お茶目だよなあ、フォイェンて☆」
「よく言われます」
「言われるのかよ…」
「おい、そこの3人!…星宮はもう終わったか。
リィにフラム、お前達、組手まだだろ!?お喋りに夢中になってるんじゃない!」
「あ」
「まずいね」
先生が向こうから怒鳴ってる。
わあ、なんだか今、とっても学生っぽいね。怒られてるのになんだか楽しくなってしまう。
「カリム、私と組手やろうか?」
「お前とは絶対嫌だ」
「そんな。ちゃんと手加減するから」
「それがムカツクんだよ!!」
まあ、そんなこと言っても、他の子はもうそれぞれ相手見つけちゃってるから、結局私と組むことになるんだろうけどね。
ぷりぷり肩を怒らせて先を行く友人の背中を追いかけながら、
私はもう一人の友人と顔を見合わせて、遠慮なく笑った。
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