ある昼の風景。〜by 馬麟〜
ヴァカの相手は本当に疲れる。
古今東西、それは変わらぬものだろう。
ていうか本気でなんとかしろこの寝汚い物体。
仮にも俺たちのリーダーたる者が、毎朝毎朝ヨダレ垂らしてイビキかきながら無残な寝相さらして
いちばん遅くまで寝こけてんじゃねえ。
……とまあ。言いたいことは山のようにあるのだが、全てもう言い飽きている類のものだ。
言い飽きているほど言っているのに改善する気もない奴――すなわちヴァカには、もう何も言う気が起きない。
「はい、馬麟。少しぬるくしておきましたよ」
蒋敬が、猫舌の俺用にわざわざ冷ましておいた器を渡してくれる。
そんな気遣いの塊の朝飯を、不味くするわけにもいかないしな。
まったく、眉間にシワを寄せて食う飯ほど不味いものはない。
食事はやはり穏やかな心で摂らないとな。
しかも、蒋敬が趣味でもないのに毎朝毎朝、部下に混じって一生懸命作ってくれている朝食だ。
粗末にしたらバチが当たるというものだ。
「あ〜〜、だから味薄いっつってんじゃんよ、改善しろっての蒋敬!!
それに肉!!肉足りねえし!!ニンジンなんか畑ごと消し去って、そこで肉育てろよ陶宗旺!!」
…当たってくれ、バチよ。
「ちょっとぉ欧鵬、あんまり塩分とか摂るとよくないんだよ!?
それに、折角おいらが一生懸命野菜作ってるのにさあ…。そんな言い方しないでよお!」
「そうですよ、陶宗旺に謝りなさい!肉ばっかり食べてるとバカが増しますよバカが!!」
朝っぱらからヴァカが蒋敬と陶宗旺の眉間のシワを増やす。
バカが増すとかいうのに科学的な根拠は全くないが、俺もほぼ同感だな。
俺は無言で、ヴァカの器に人参ばかりを選んで山盛りに追加してやる。
ヴァカの頭に血が上って、一気に顔面が真っ赤に染まった。
「テメっ、馬麟!!何しやがる!!」
「今、人参から俺に念が飛んできたんだよ。『お前に食わせろ』とな」
「決闘だ決闘!!今すぐ表出ろや!!」
「うるさい朝食中だカルシウム摂ってろ」
間髪いれずに出汁用の煮干を一掴み、口の中につっこんでやった。
うげえと汚い声を出して吐き出すヴァカを見て、蒋敬と陶宗旺の目の色が変わる。
「ナイスですね、馬麟!イライラの多い奴にはカルシウムですよね!」
「そうだろう、そうだろう」
「じゃあ、欧鵬はい〜〜〜っぱい摂らないとだねえ!」
笑顔の陶宗旺がヴァカを背後から羽交い絞めにして、笑顔の蒋敬が奴の頬を左右に引っ張って無理やり口を
開かせたところに、俺は袋の中の煮干を直接注ぎ込んでやった。
声にならない悲鳴を奴が上げるが、ストレスの極限に溜まった俺たちを止められる者は誰もいない。
まったく、ヴァカの相手は本当に疲れるな。
「テメエらああ!!揃って表に出ろおもごふっ!!」
……パサパサした煮干を勝手に喉に詰まらせたらしく、ヴァカはその場にひっくり返って大人しくなった。
「…ごはん、食べよっか?」
「ええ、そうしましょう」
「蒋敬、おかわりもらえるか」
俺たちの静かで優雅な食事がようやく始まった。
「そういえば…。蒋敬、今日の予定だが…確か、『奴ら』が来る日じゃないか?」
朝食を終え、汚れた皿の片付けをする蒋敬を手伝いながら、ふと思い出す。
「ああ、そうそう!今日はバカ旦那たちが来る日でしたね!
夕刻に到着するそうですから、それまでに売買の準備をしましょうね」
蒋敬の言葉に、いちばん反応しなくていい奴が反応しやがった。
「マジかよ!?こうしちゃいられねえじゃん!陶宗旺、砥石はどこやった!?」
飛び起きるや否や、自分の愛槍と砥石を抱えて部屋から飛び出していく。
「ちょっとぉ欧鵬!?またケンカ売るつもりなの?いいかげん懲りなってばあー!」
陶宗旺の声が追いかけてきても、奴は一向に止まる気がない。
『バカ旦那』。
俺たちをこの黄門山のに放り込んだ張本人でありながら、俺たちの生活を支えてもいる、物好きな男だ。
この黄門山には、俺たち4人の頭領と、約500人の部下が暮らしている。
その殆どが、『バカ旦那たちの縄張りである掲陽で暴れて目をつけられた者』だ。
…ああ、俺は違うぞ?掲陽で暴れたヴァカに巻き込まれた、かわいそうな男だから。
「…馬麟、これが今回必要と思われる物資の覚え書きです。ダメ出しがあったら言って下さいね」
気を取り直して、蒋敬の几帳面かつ少々神経質な文字の並んだ巻物を受け取る。
「陶宗旺は、食事が済んだら私と売るものをまとめましょうね」
陶宗旺が深く頷く。
陶宗旺と部下がこの広い土地を生かして農業を営み。
蒋敬がそこで採れた作物を、月イチで行商に来るバカ旦那たちに売りさばき。
代わりに街でしか手に入らない調味料や金属製品などを購入する。
まあ、およそ山賊らしくない生活だが…俺も蒋敬も陶宗旺も部下たちも、割とこの生活は気に入っている。
元・流れ者の俺が言うのもなんだが、一箇所に腰をすえて、気のおけない仲間と安定した生活を送るというのも、
なかなか悪いものじゃないと思う。
それに、『縄張りで暴れて目をつけられた者』には身に余る待遇だぞ、これは。
あのヴァカは文句ばかり言ってないで、少しは感謝した方がいい。
「よし、俺も手伝おう」
「あ〜、馬麟はいいよお。そんなことより、欧鵬を押さえておいてってばあ」
…それを頼まれるのが嫌で、手伝いを申し出ているというのに。
陶宗旺はそこのところは譲ってくれないらしい。
「…いいかげん、あいつのおもりは沢山なんだよ。
何だって俺があいつの素行の最終責任者みたいなことになってるんだか…」
「と言いましても、我々の武力では押さえ切れないんですからしょうがないでしょう?
馬麟だけが頼りなんです!ね?」
…苦労人の蒋敬の気を楽にしてやりたいのはやまやまなんだが、イマイチ素直に『はい』と言ってやる気にはなれない。
「おいらからも頼むよぉ。この前のこと、覚えてるでしょー?
欧鵬が双子に打ち身こさえたって、慰謝料にここぞとばかりにふっかけられちゃったんだよおー!?」
確かに、アレはきつかったな。
先にも言ったが、俺たちは物好きなバカ旦那の厚意で商売してもらってる身だ。
少なくとも、商談の最中にあちらさんの機嫌を損ねるようなことは勘弁してもらいたい。
…だが、やっぱりあのヴァカの面倒見るのが嫌なのには変わりない。
「うおーい馬麟!!得物持ってこーい!!試し斬りやんぞー!!」
…タイミング悪く、槍を研ぎ終わったらしいヴァカが外から俺を呼んできた。
蒋敬と陶宗旺が、俺に拝む仕草をする。
………誰でもいい。俺を助けてくれ。
などと言っても誰も助けてくれないのは分かっているので、仕方なく自室へ得物を取りにいくために立ち上がる。
「いつもありがとうございます、馬麟」
「ありがと〜!!」
俺を仲良く送り出す蒋敬と陶宗旺の笑顔が、俺に複雑な心持を抱かせた。
…せめて今日の商談が、平和に終わってくれるといいんだがな。
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