『水滸伝』第1話 『生辰綱事件』其弐
「晁蓋さん、なんかおかしい」
宋江が唐突に放ったその言葉に、晁蓋も宋清も、さじを持ったままぽかんと口をあけている。
あの不思議な道士――公孫勝がやってきてから、今日で2週間もたっただろうか。
この前の埋め合わせにと、晁蓋が宋姉弟を茶屋に誘ったのだが…。
粥のさじの先をかしかしとかじりながら、頬を膨らませている宋江。
「え、えっと…。姉さん、どうしたの?」
宋清が、おずおずと口を開いた。
「どうしたも何もよ?
晁蓋さんたら、あたし、この前来たあの人の話を聞きたいって言っただけじゃない。何で口ごもるのよう?」
「べ、別に、口ごもるも何も…。
ただ、とっつきにくい人だけど、とりあえずしばらくうちに滞在してもらっているよって言っただけじゃないか…」
困り顔で目を伏せて、晁蓋が自分の椀の粥をすする。
(…まあ…そりゃ、僕だって、それは気になりますけど…)
宋清が、つい姉のようにさじの先をかりかりかんでしまって、自分で気付いて慌ててやめる。
(晁蓋さんは、私事は僕たちにあまり喋ってくれないからなあ…)
親をなくして、日々をいっぱいいっぱいで生きている宋姉弟に気を遣っているからだろう。
晁蓋は、自分の問題は自分でさっさと解決してしまう。
そして、それを宋姉弟たちに教えるようなことはしない。いつものことだ。
それは、なんだか寂しいけれど。
しかし、晁蓋が自分たちのことを想ってのことだから。
…そう宋清が自分を納得させたところで、空気の読めない彼の姉が、黙っていてくれるわけがなく。
「ねえねえ、晁蓋さん、あの人、まだ晁蓋さんのところにいるのよね。会いに行ってもいいかなあ?」
「姉さんッ!!」
宋清が、泣きそうな顔で姉の肩を掴む。
そりゃあ、宋清にも、晁蓋が何かを抱えて悩んでいるのは分かる。
(だって、ほら、また何かを考え込んで、ぼんやりして…)
しかし、大胆不敵な姉と違って、おとなしい弟には、それ以上突っ込んでいくことは出来なくて。
ただ、時折何かを考え込んでいるらしい、晁蓋のボーッとした横顔を眺めているしか出来なくて。
(…こういう時、本当、姉さんの性格はうらやましいよ…)
勿論、皮肉込みでの話だが。宋清が大きな溜め息をつく。
そうこうしているうちに、晁蓋の粥の器が空っぽになって。
少し冷めかけたお茶を、彼が静かにすする。
「…さて…。じゃあ、私は帰るよ。そろそろ、来客が来る時間なんでね」
「ええ〜〜〜!?結局何も聞けてないじゃん!何で帰っちゃうの!?」
「ちょ、姉さん、来客があるって言ったばかりじゃない!
忙しいところをわざわざ時間を割いて来てくれたのに、それはないでしょ!?」
どちらが年上なんだか分からない会話が繰り広げられる。
「いや、本当にすまんな。宋江、また遊びに来るから。そんなに頬を膨らませるなって」
晁蓋が、宋江の頭をぐりぐり撫でてやる。
宋江はしばらくぶつぶつ言いながら口を尖らせていたが、晁蓋が店員を呼んでさっさと会計を始めてしまうと、
一緒に店を出るしかなかった。
「じゃあな、二人とも」
「ねえ、晁蓋さん。今度はいつ会ってくれるの!?」
宋江が、去りかける晁蓋の服の裾を掴む。
「あー…うん、その時には、ちゃんと手紙を寄越すから。
じゃあ、本当に時間が無いから、今日はこれでな」
明らかにそわそわした様子の晁蓋。
その不自然なそっけない様子に、宋清も眉をひそめたけれど。
晁蓋は、自分の服の裾を掴む宋江の指をひっぺがすようにして、ひらりと自分の馬にまたがってしまう。
そして、軽い挨拶ひとつだけ馬上から寄越して、さっさと帰路についてしまった。
宋姉弟の胸に、寂しい風が吹く。
「……晁蓋さん…。本当、どうしたのかな…」
「……よっし!じゃあ、後をつけよっか!」
「そうだね……って、ええ!?」
姉の突然の問題発言に、宋清が目玉をむく。
「姉さん!!今、自分が何を言ったか分かってるの!?」
「え?だから、つけようよ、晁蓋さんのこと?」
「何でその発想に辿り着くの!?」
宋清がつばを飛ばして宋江に食ってかかる。
「な、何よう。だって、気になるでしょ?
来客が来るって言ってたじゃない、きっと、その人に何か関係があるんだよ。こっそり覗き見しに行こうよ!」
「そ、それは、気になりますけどっ!
よくないでしょう、そんなのは!?もっと常識をわきまえて下さいっ!!」
「大丈夫よう、ばれないようにやるってば
「そういう問題じゃないんですっ!」
いつもながら、常識人の宋清は、宋江の思考にはついていけない。
「あ〜もう。ほら、晁蓋さん、見えなくなっちゃうじゃない。
じゃあ、あんたはここに居ていいわよ。あたし、行ってくる!」
「えっ、ちょ、姉さんっ!」
自分の馬にさっさとまたがってしまう宋江。
いつものように、半ばつられるように、宋清も彼女の後ろにまたがって。
先に行ってしまった晁蓋にばれないように、十分に距離を保って馬を進ませる。
数刻の後、二頭の馬は、運城県郊外の東渓村の、晁蓋の屋敷へと辿り着いた。
「…晁蓋さん、まっすぐおうちに帰ったわねえ。なんか、途中で怪しい人と待ち合わせとかしてるかと思ったのに」
「内密の話なら、自分の屋敷の中の方が安全じゃないですか。…で?姉さん、これからどうします?」
おずおずと宋清が問いかける。
「うん。来客室を覗き見しようよ。
とりあえず、あたしたちの馬はばれないようにあっちにつないできて…っと」
なんだかとんでもないことになってきてしまっていて。
宋清は頭を抱えて溜め息をつく。
しかし、もうここまできてしまったのだ。
ままよ、と、小走りで姉の後を追う。
「よっし、梯子はっけ〜ん!清、ホラ、ここの壁から覗くんだよ!」
「ええっ!?た、高いですよ、姉さんっ…」
晁蓋の屋敷をぐるりと囲む壁は、結構な高さがある。
宋江はその壁の上から、来客室を覗くつもりらしい。
高いところがあまり好きではない宋清としては、少々遠慮願いたい行為だったが…。
「はあ?何言ってるの、ここまできて。ほら、登る!登る!」
「ひいっ、うわあっ…」
長い梯子に尻込みする宋清の襟首を引っつかみ、強引に梯子を一緒に登らせる宋江。
はっきり言って、普通に怪我をしかねない。
宋清は、この小さな暴君についてきてしまったことを、深く後悔した。
そのとき。
「もし。そこで何をしているのかな?」
「ひゃあ!?」
「ね、姉さんっ!?」
急に下から声をかけられて。
宋江が梯子から足を踏み外す。
景気よく落下した宋江は、足元にいた初老の男を、お尻で見事に踏み潰した。
「ぐ、ぐうう…」
「やだっ、ごめんなさい!でも、貴方が悪いんだよ、急に声をかけるんだもの!」
「何で素直に謝れないの、姉さん!ていうか、早くどいてあげて!」
宋清が、彼に出来る精一杯の速度で、おっかなびっくり降りてくる。
宋江が男の上から退くと、彼は腰をさすりながら、ゆっくりと起き上がった。
「あいたたた…。おや…。もしかして、宋江ちゃんじゃないかい?ずいぶん久しいねえ…」
「「え?」」
宋姉弟が、揃って首をかしげる。
いかにも温厚そうな、おっとりしたおじ(い)さん、である。
白髪の多く混じった長い黒髪を、後ろで軽くまとめて。
丸い眼鏡の奥の小さな瞳は、優しく宋姉弟の次の言葉を待っている。
その瞳に、宋江は見覚えがあった。
「あ…。もしかして、呉用先生!?」
もう7〜8年も会っていないだろうか。
宋江が幼い頃、読み書きを習うために通っていた私塾の先生。それが、彼――呉用だった。
「うそ!先生、ずいぶんおじいちゃんになったんだね!分からなかったあ〜」
「姉さん!!もうちょっと、オブラートに包んで!」
面識の無い宋清はおたおたするが…。
こういう宋江の態度に慣れているのだろう、呉用と呼ばれた男は、にこにこしながら宋江の頭を撫でてやっている。
「やあ、君ははじめましてだね。見たところ、宋江ちゃんの弟君のようだが…」
「清、あたしが前通ってた塾の先生なんだよ。お父さんが健在だった頃ね。
先生、これ、宋清ね。今年、10歳になるの!」
「ほうほう…。利発そうないい子じゃないか。お勉強は、お姉さんに習っているのかな?」
「あ、主に自習と晁蓋さんです。姉さんじゃ、ちょっと頼りないので…」
「ってこらあ!清!!」
呉用ののんびりとした雰囲気に、宋清にはとても好意を持てた。
おっとりした自分とは、なんだか気が合いそうな人である、と。
「あっはっは。ところで、二人とも、こんなところで何をしているんだい?晁蓋君に用なのかな?」
「あ、うん、そうなの!でも内緒だよ!秘密なんだから。先生も、晁蓋さんに用事なの!?」
「姉さっ…」
確か、自分達は、こっそり晁蓋を偵察していたのではないだろうか。
宋清は、軽い頭痛を抑えてうずくまる。
「ああ、うん。ちょっと、お話があったからね。
宋江ちゃん、私も内緒のお話だから、宋江ちゃんに見られるのは、ちょっと困るんだ。
今日のところはこれくらいにして、帰ってくれないかな?」
「ええ〜?でも、そっか、お互い内緒なんだもんね。
分かったよ、先生。今日のところは、これで帰るね!」
上手い。何がって、宋江の扱いが。
さすが彼女の先生をやっていただけあると、宋清が呉用に尊敬の目を向ける。
「で、では、呉用先生。
あの…もしよかったら、今度、先生のお話を聞かせてください。先生の授業、とても興味があります」
「おやおやおや、嬉しいね。しがない貧乏私塾の教師ですが、今後ともよろしくね。
じゃあ、宋江ちゃん、宋清君。さようなら」
「うん、さよなら〜〜!」
「さようなら、先生」
にこにこと二人の後姿を見送る呉用。
その後ろから、一人の男がそっと近づいた。
「……すまないね、先生。どうにもあの子は好奇心が強くってな」
晁蓋が、大きな溜め息をつく。
「いやいや、君の様子を心配してきたんでしょう?いい子たちじゃないですか。
それで?『彼ら』の方は、無事公孫勝君のところに通せたかな?」
穏やかに、呉用が微笑みかける。
「…抜かりなく。後は――役人を、どうごまかすかですか。
劉唐の件を見るに、『あの日』に備えて、徹底的な警備が用意されているようですよ?」
「雷横君は、ちょっと乱暴だけれど、真面目で気がいい人だからねえ。あっちをごまかすのは難しくないでしょう。
ただ――『あの彼』をごまかすのは、ちょっと骨が折れる仕事かもしれないねえ…」
呉用が眉を寄せ、指でぽりぽりと頬を掻く。
「朱都頭の方ですね。あの超がつくほど几帳面な正義漢の…」
晁蓋が軽く溜め息をつく。
ここ、運城県を警護する都頭の二人組。
彼らをなんとかしなければ、晁蓋たちの『計画』は上手くいかなくなってしまうのだ。
「けれど、やるしかないんでしょう?晁蓋くん」
「…はい。今更中止にはできないですよ。
さあ、先生。私たちも中に入ろう。みんなが待っているよ」
少し、悲しそうに。晁蓋が目を伏せる。
自分が、もう引き返せないところに来てしまったのを感じたから。
もう、あの明るい姉弟たちと、違う道に進んでしまったことを感じたから。
「これも『運命』、か…」
あの日。
宋江たちと別れた後で、道士から告げられた言葉。
それが、晁蓋の心を暗い色に染めていた原因。
そんな自分を、心配してくれていた宋江たち。
本当の家族のような、暖かい存在。
晁蓋は、その彼女たちとは別の道を歩く。
それが『晁蓋』の『運命』だから。
『彼』の役目なのだから。
「…晁蓋くん?どうかしたのかな?大丈夫?」
「あ、はい、行きますよ、先生」
迷いを断ち切るように、首を勢いよく左右に振り回して。
晁蓋が呉用に笑顔を向ける。
「…行きますとも。私の『役目』を果たしにね」
「あ〜あ…結局、晁蓋さんの情報は入らなかったなあ…」
宋江が馬上で口を尖らせる。
一定のリズムに揺られながら、宋清は姉がぶつぶつ言うのを聞いている。
(…呉用先生…か…。よさそうな人だったなあ…)
けれど。
ほんの少しだけ、その計算されたような出現のタイミングが、宋清は引っかかったりもしていた。
(…晁蓋さん、先生と何か密談が…?)
勿論、無闇に人を疑うのはよくないが。
呉用は、晁蓋に何の用があってあそこにいたのだろう。
宋姉弟は駄目でも、呉用なら、晁蓋の悩みを解決できるのだろうか。
考えれば考えるほど、ごちゃごちゃしてしまって。
宋清は、馬を操る姉の背中に顔を押し付ける。
人の体温の温かさが、少し眠気を誘ってきた。
「もし。そこにいるのは宋江殿ではありませんか?」
ふいに、背中の方から、大きな声というわけではないのに、よく通る高めの声が聞こえて。
その声に聞き覚えのあった宋江は、笑みを浮かべて振り返る。
「あっ、朱仝さんだあ!!それに、雷横さんも!!」
向こうの通りから、栗毛の馬にまたがった細身の穏やかそうな男と、
ひげの濃いいかつい顔つきの、たくましい徒歩の男の二人組が手を振っている。
この運城県で捕盗係を担当している、都頭の二人だった。
穏やかそうな男の方が、ゆっくりとこちらに馬を進めてきて、丁寧な挨拶をくれる。
「宋江殿。ごぶさたしております。弟君も、ご機嫌はいかがですか?」
朱仝。捕盗係で、主に騎兵をまとめている男である。
礼儀正しく、物腰は優雅。いかにも温厚な紳士といった雰囲気。
しかし、規律にはうるさく、いったん自分が決めたことには一歩も引かない頑固さも持ち合わせた男である。
文官風の、優男といっても良い見かけによらず、かなりの槍の名手ということもあって、
この近辺では、彼を敵に回すことは自殺行為として名が広まっていた。
実際、怒らせると、色々な意味でかなり怖いのである。
「よお、宋姉弟。何だ、晁蓋殿の家にでも寄った帰りかい?」
いかつい顔に似合わず、にかっと笑顔で気さくに話しかけてくる男が、雷横。
朱仝の同僚で、こちらは歩兵の方のまとめをやっている。
いわゆる悪人面のため、知らない人間からは賊か何かと勘違いされてしまうような男なのだが…。
庶民の出ということもあって、親しみやすい性格をしていて、町民からはなかなか人気がある。
よく仕事中に、子供と遊んだり、町人と世間話などをして盛り上がってしまっては、朱仝に軽く睨まれている。
その姿は、ある意味町の名物になっていた。
朱仝も雷横も、年若くして役人を勤める宋江を気遣って、いつもよくしてくれている人たちである。
宋清は、深々と頭を下げた。
「こんにちはっ、朱仝さん、雷横さん。見回りですか?」
「ああ、ちょいとな。最近は、梁山泊の輩がいきがってるって話だしなあ。
警護を厳しくするように、上からお達しがあってな」
「りょうざんぱく?」
宋江が首をかしげる。
「噂をご存知ありませんか?
ここから近いところにある、水に囲まれた天然の要塞のような地――梁山泊が、
最近勢力を増してきているようなのですよ。
元々、以前から山賊や盗賊が住み着いていた場所ではあったのですが…。
最近は、その横暴振りが増したとかで。
おそらく、実力のある者が新たに入山したのでしょうね。官軍をも寄せ付けぬと聞いております」
朱仝が整った顔を曇らせる。
「その勢いを受けて、最近じゃ他所のところでも賊とかがのさばってるとも聞いてるぜ。
宋江ちゃん、晁蓋殿と一緒じゃねえ時は、ちゃんと気をつけた方がいいぜ?
庶民や女・子供だからって、手加減するような輩ばっかじゃねえんだからな」
見た目は豪快で細かいことを気にしなさそうに見えるのだが、これで結構心配性なところのあるのが雷横だ。
彼が宋江たちに忠告するのを、朱仝は横でうんうんと頷きながら聞いている。
いかにもいい家の出の、上品で穏やかな朱仝。
いかにも庶民出の、山賊じみてはいるが気のいい雷横。
まさに正反対の凸凹コンビなのだが、不思議と衝突はなく、うまくやっているらしい。
「…そういや、晁蓋殿といえば、宋江ちゃんよお」
「雷横。また、そうやって、仕事中に…」
「まーまーまー、朱仝、ちょっと待ってくれって。
これだけは、ちょっと聞いとかねえとと思ってたことがあったんだよ。重要なことなんだって!」
「いつもそういうじゃないか、君は…。宋江殿、いいんですよ、いちいち相手にしなくても」
朱仝は完全に信用していないらしい。
明らかに、顔が『うさんくさい』と言っている。
「いいよ、朱仝さん。あたし、その話、聞きたい!ねっ、ちょっとだけ、時間ちょうだい!」
宋江が服に取り付いておねだりしてきたので、朱仝もさすがに邪険にできず、溜め息を一つ付く。
「…あくまで、手短にね?」
「おう、分かってるって。…あのなあ宋江ちゃん、晁蓋殿んとこの甥っ子さんって、知ってるかい?」
「甥っ子お?」
宋江が宋清に目で問いかける。
宋清もそんな話は聞いたことが無いので、首を横に振った。
「そうか。お前さんたちなら知ってるかと思ったんだけどなあ」
「その人がどうかしたのかい、雷横?」
朱仝が問いかける。
「あ〜…いや、ちょっと気になってよ。晁蓋殿には甥っ子だって言われたんだけど、どうも賊っぽい奴だったから」
「君だって、よく盗賊に間違えられてるじゃないか…。外見で人を判断するなんて、失礼じゃないか?」
明らかに朱仝の機嫌が悪くなったのを見て取って、雷横が慌てて両手を顔の前で振る。
「ち、違うって!そいつ、様子っからしておかしい奴だったからよ。
晁蓋殿、そいつに甥っ子だなんて庇わされたんじゃねえかと思ってよ…。
本当に賊だったら、やばいじゃねえか。
宋江ちゃん、ここんとこ晁蓋殿の様子、何かおかしかったりしなかったかい?」
「…あの…。その話、もうちょっと詳しく聞かせてもらえない!?」
宋江が声を荒げる。宋清も、それを止めなかった。
朱仝が整った眉を潜める。
「……まさか…宋江殿!?」
「や、まだ分かんないけど!でも、最近、晁蓋さん、なんかおかしいのよ。聞いても何も教えてくれないし…。
ねえ、雷横さん、今日のお仕事終わったら、あたしんち来てくれない!?ちゃんと、話聞かせて欲しいの!!」
真剣な様子の宋江に、雷横がごくりとつばを飲み込む。
「しゅ、朱仝…」
「分かっているさ。宋江殿、私も同席してよろしいですよね?
今晩…仕事が片付き次第、二人でそちらに向かいますから」
「う、うん。あ、でも、まだ、本当にそうだって決まったわけじゃないから、大事には…」
「それくらいの分別は持っていますよ。証拠も無いのに騒ぎ立てたりするなど、言語道断ですから」
朱仝が宋江たちを安心させるように、柔らかく笑った。
「…姉さん、本当に…?」
朱仝と雷横と別れた帰り道。
馬上の宋清の表情は、硬く、暗い。
自分の声が震えてしまっているのが情けなくて。
でも、どうにもできなくて、ただただ姉の背中に顔を寄せる。
「……」
「…姉さん…」
「……ぷっ…」
「……へ?」
今のは何の聞き間違いだろうかと、宋清が顔を上げた途端。
「あ〜っはっはっは!なんて顔してんのよ、清!?」
「ね…姉さん!?」
この状況で、何の笑える要素があるというのか。
確かに、普段からこの姉の思考は読み取れない奇天烈なものだが…。
今日のこれは、いつもにもまして理解不能だった。
しばらく呆然と宋江の馬鹿笑いを聞いていた宋清だが、次第に腹が立ってきた。
「姉さんっ!!一体何がおかしいんですか!?
晁蓋さんが、大変な目に遭ってるかもしれないんですよ!?どうして、そんな笑ってられるんです!?」
いつもおとなしくて、怒るのは苦手な宋清だが、これには声を張り上げずにいられなかった。
大切な、家族も同然の晁蓋の危機かもしれないというのに。
宋清の大きな目に、悔し涙が溢れてくる。
しかし、目に涙まで浮かべてひとしきり笑った宋江は、明るくばあんと宋清の背中を叩いた。
宋清が驚いて目を丸くする。
「バッカだなあ、清。あんた、晁蓋さんと何年付き合ってんのよ。
あの晁蓋さんだよ?なんでそんな深刻になる必要があるの?」
「……え…?」
「なあに、あんた、晁蓋さんがそんなヤワな人だと思ってるわけ!?
仮によ?仮に、本当に賊が晁蓋さんにちょっかい出してるとしてもだよ?
相手、あの晁蓋さんだよ?タダでやられっぱなしになるような人だと思ってんの?」
自信満々に言い切る宋江。
宋清の口がぱっくり開く。
「んね!だ〜〜いじょうぶだって!!何暗い顔しちゃってんのよ、清ったら。
それに、晁蓋さんには、呉用先生だって、村のみんなだって、いっぱい仲間がいるんだよ!?
何を心配する必要があるのよう?」
「ね…姉さん…」
からからと宋清の心配を笑い飛ばす宋江。
基本的には、この姉の突飛な発想に困らされてばかりの宋清だけど。
この言葉は、ただ嬉しくて。
何の根拠も無い言葉なのに、ただ嬉しくて、力強く感じて。
「……姉さん…っ」
「ほらほら、泣いてんじゃないわよ、清。あんたも晁蓋さんの家族でしょ、か・ぞ・く。
あんたが晁蓋さん信じてあげなきゃ、晁蓋さんがかわいそうじゃない!?」
「…そ…そう…かなあ……」
「そう!よ!」ばあんと。もう一度、宋江が宋清の背中を叩く。
「なんにせよ、とりあえず、雷横さんの話聞かなきゃ、何も始まらないわよね。
清、うちに帰ったら、早速二人をお通しする準備しなきゃだよ。ほら、飛ばすよ!」
「って、わあ!?姉さん、二人が来るのは夜だってば!?まだ時間ありますって!」
急に馬の速度を上げられて、宋清が慌てて宋江の腰にしがみつく。
さっきより近くで見た姉の横顔は、いつもと変わらないものだった。
いつもと全く変わらない、何の憂いも無い明るい顔。
心底晁蓋を信じているからこそ、全く心配してなんていない顔。
でも、いつもどおりのものだったけれど。
『ただの普通の女の子』のはずの姉の顔が、宋清にはいつもより力強いものに見えた。
「……姉さん」
「んん〜?」
「……もし、本当に、晁蓋さんのところに賊がいたら…どうするの?」
「へ?そりゃあ、朱仝さんとかの力借りて、ばば〜んと潰しにいくに決まってるじゃない。
何当たり前のこと言ってんの?」
「……そう…ですね。何、当たり前のこと言ってるんでしょうね、僕…」
「ふふっ、そうだよ、変な清!!」
あっはっは、と笑い出す宋江。
今度は、宋清は怒らなかった。
「待っててね、晁蓋さ〜ん!あたしと清が助けに行くよ〜!」
冗談なのか本気なのか、判別の付かない姉の言葉。
ようやく宋清の顔に、苦笑交じりの笑みが浮かんだ。
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